目下労働


働かなくてはいけない。働いて宝くじを買ってと。宝くじが当たったら辞める。で、何をするか。何もしない。何もせずに生きたいのだが、家賃やら保険やら。生活に追われる。なぜ生活に追われなければいけないのか。困る。払う必要はない。払わない生き方もある。そのエネルギーがない。お湯から上がる気がない。お湯の中で、どうすればいいのか考えている。


働く、その概念を開発することはできない。ぼくには。物書きでは食えないだろう。食うために書けないだろう。食事や排泄と同じように、ぼくは書く。くだらないブログも。閃光のような詩も。また孔を拡げる詩も。詩は垢みたいものなのだろうか。生活の香りがする。


小説を読む。どうしてこんなに書けるのだろうと思う。素晴らしい小説とは別の小説の話をしている。あんなくだらない時代小説を長々と書き続けられる作家はすごい。ともあれ、それを読む人もすごい。あの間に一体なにが生まれているのだろう。


300ページなんてものすごい熱量だ。普通は書けない。それをあんな文で埋め尽くすなんて信じられない。ちょうどブログみたいな感じだろうか。いや、思念を散らして書くなんて誰でもできるのだ。一つの物語を織っているのだ、本の場合は。どんな本であれ。

まあどうでもいいか。


頑張らずに生きたいものだ。人に何かを求めない。人を変えようとも思わない。社会は人それぞれ炸裂している。ぼくも変わろうと思わない。勝手に変わっていく人について何も思わない。


いまある生活がおかしなものであれ、ぼくはここにいる。らしい。それについてとやかく言わないし、言いたい。ここにいながらその世界を助長したくない。これはわがままなのだろうか。

いま、ここからではダメなのだろうか。染まるしかないのだろうか。染まる?言葉がおかしいか。一般的な良識の揺りかごに揺られながら、なるべくお前らと絶縁しながら進む方法がないか。おまえ、そう、おまえだ。昆虫殺しのクソ野郎。ブラジルから回ってきた肉が国産よりも安いのに違和感のないおまえたちと。おれはおまえたちの世界にいながら、どうやっておまえたちと一緒に暮らしながら絶縁していくか。おれはここにいたいのだ、小声で。で、おれはおまえらが嫌いなのだ、大声で。おれは暮らすここに、おまえらと同じように。別の仕方で。


おれには翼がある。車の免許のことだ。ここから離れた自分の声が聞こえる、何通りか。目下きまった、労働のお通りだ。修行という言葉が嫌いだが、いまは修行中だ。




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バッドボーイ純子

趣味がローラーブレードだったなおきは先生の葬式にもローラーブレードを履いてきた。かと思えば、けんちゃんは竹馬で、早苗は一輪車。金持ちだったポポランスキーはやっぱりロールスロイス(笑)

キャロット先生もたいへんなクラスメイトを持ったものだ。キャロット先生はよくよしこちゃんのお母さんと墓で密会してたっけ。そこをたまたまキックボード野球をしていたヘーゼル君に発見。ヘーゼル君は風呂屋の息子で番台さんだったから、近所の悪ガキに言いふらして街は大変なことになった。

そのとき、ヘーゼル君は35歳、うちらは10歳。ヘーゼル君はキックベースカトリックでいつも本気になっていた。ケンイチとは喧嘩仲間みたいなもので、ケンイチが顔面セーフなんて言い出したときには、いきなり蝉を食べ出して海老の味がするなんて言うからみんなおかしくて、ヘーゼル君を異教徒とみなしていたのだった。

十二月のチャーチのとき、フランスから届いたサンタクロースの焼き討ち映像を見てテンションのあがったうちらはベースボールカトリックのときにポポランスキーロールスロイスをスライスしてイタリアのシチリアでお世話になったらしいコリオーネへ送ったのだ。

そしたらマッチョサランダムがかんかん(笑)プレイボールのことをプレイボーイなんて言うから、これだからシチリアの奴はってハドソンズベイがチャーリーチャップリンみたいなこと言い出してそっから大カトリック勃発。みんな死ぬ気で竹箒持ってきて噂のクディッチ。楽にしてやるよと西武の菊池雄星

ワッツソースティンキーアバウリッ?とかアレックスが言い出して、ジミーズとまたしっちゃかめっちゃかの大カトリック。でも、最後はシンギンインザレイン歌いながらドゥビドゥーってわけ。笑

このときもなおきはローラーブレードでブランコ乗ったりわりと自由なふりしながら、ヤマザキパンの春のパン祭りについてあつく語ってた。バッドボーイのロンT来て、靴は俊足だったバッドボーイ純子は武満徹のことをたけちみつるって呼んでた。他にもレッドホットチキンとか言ってたな。

うちらは徒党を組んでたから、集合するときは梅田かもしくは三田集合。基本的には軽車両で現地集合。ハルキはまだ新生児だっからおかんにおぶられレディゴー。たまにハルキとニケで来るシュウゴ。息切れするおかんを見てみんな非難轟々。

交通ルールなんて無視しまくりだから早苗は一輪車でトラック煽るわ、トモキは十字架担いでバイパス超えて来るわ、でもう大変。そんなことばっかで、キャロット先生も鬱になったみたい。小学校六年生なのに未だに馬に干し草やる授業で単位取れないやつばっかりだったから、校長からの圧力が半端なかったみたい。結局、バッドボーイ純子が干し草とキャロット先生間違えて馬に食わせたみたいでキャロット先生ジ・エンド。今に至る、佐々木中みたいなかんじ。

訃報を聞いたうちらは次の日から、もっと真面目にやろうって話あった。純子はバッドボーイの服は全て捨てるって言ってたし、キャリーパミュパミュはヤスタカから卒業するって、アレックスももうタイツ履かないって、ヘーゼル君はメジャーリーグでプレーしたいって。マイケルも親父の敵討ちはやめるって、シチリアにもいかないって。早苗はラップやめるって。ヨシキもドラム壊さないって。なおきは春のパン祭りにはもう参加しないって。

で、おれ思ったんだけど、なおきに関してはおまえの治すところそこじゃねえよ!と思った。でも、なおき泣きながらローラーブレード乗ってたし言えなかった。案の定、葬式の日はみんな、いつものままだった。おれがご焼香するときにはご焼香がなくなってた。みんなバカだから食っちまったのかもしれない。だから、おれはマジ一休ばりのトンチをきかせて、十字架を切った。

帰り道、早苗は一輪車に跨って般若心経を唱えながら帰っていった。バッドボーイ純子はこの世界の教育制度について問題を感じたらしい。今夜はキャロット先生と同じところで眠りたいなんて言うもんだから、そっとしておいたけど。

まあ、みんな変わらないな。またいつか、蹴鞠しようなあ、拓哉。

生きるらしい


生きるだけで金がかかると祖母に言ったとき、『その通りや!』と祖母は言った。祖母が二回出て来た。どうにか一行にまとめれないだろうか。

生きるだけで金がかかると言ったとき、『その通りや!』と祖母が言った。よし。そんな祖母がアルツハイマーにかかってしまった。兼ねてから、徐々にではあるが進行していたアルツハイマー脳梗塞を機に一気にアクティベートしたらしい。

祖母は別の世界にもいるのだろう。一言一言大切に言葉を堕ろす。今に向かって過去やら想像やらが入り乱れるのか、超現実な話を始める。

担当医師であったはずの男が突然、北野高校出身になったかと思えば、その男は親不孝ものでタイプライターばかりいじっているのだと言う。それを見た両親の気持ちを考えたとき、祖母は胸が痛くなるのだそうだ。で、言ってやったらしい。

「あんたなア、折角頑張って北野高校の10人の中に選ばれたのに。何してんのン。お母ハンもきっと喜ばれたろうと思うで」

きっと同一人物の話ではない。その医師が喚起させたのが北野高校出身のタイプライターで親不孝者の男なのだ。そもそも祖母にとって同一人物かどうかは問題なのではないのだろう。

自由な語り部に見える。しかし、とんでもない重力を感じる。過去なのか、それすら想像なのか。どちらとも断言できないだろう。祖母は想像によって医師とタイプライターを結び合せ、タイプライターは恐らく想像によって結びつけられた過去の断片なのだろうから。祖母は今、語っている。だから、今、起こっていることを話しているのだ。

祖母は優しい人だ。あんなベランベぇな顔見たことがなかった。アルツハイマーが進行すると暴力的になると言われる。実際、ぼくもその現場を見ているが、どうだろう。あのとき、ぼくらはぼくらの現実を押し付けすぎて除け者にしたから、あの人は暴力に走ったのではないか。狂人のように扱われれば、誰だってそうなるんじゃないか。理性は平衡機のうえの水とは反対へ流れる。理性は他者と自分とをフラットに保とうとする働きなのではないか。アルツハイマー患者に理性がないなんて可笑しな話ではないか。必ずしも理性は社会に従わないだろう。

自分の見ている現実が頭ごなしに否定されれば誰でも怒る。ぼくらの社会が必要以上に要求するコミュニケーションは人間と人間の隔たりでさえ簡単に忘れさせようとする。


生きるには金がいる。祖母はその通り!と教えてくれた。生きるには金がいる。金を稼ぐ必要がある。考えるだけで嫌になる。で、本業とは何か、と考える。別にないのだ。ただ生きるだけがこんなにも難しい世界だ。いっそヤフオクで自分の一日でも売ってみるか。売れたらいいけどな。日当一万円でな。暇なうちにやってみるか。

それはさておき、リサイクルショップにでも就職しようかと思っている。これ以上いらないものを増やす仕事はしたくないし、古物好きやし。独立するとすれば、ブリコラージュ的な店をメインにするしかない。流通経路も、流通確保の方法も知れるしいいんじゃないかな。



免許合宿へ行く普通じゃない人へ


免許合宿、辛いですね。ここまで自分は何もできないのかと思う日々が続きます。みんなが普通に取れるはずの免許でさえ自分は取れないのだと考えてしまうと、自分だけポツンとはみ出ているような気がして心が暗くなります。


『普通は取れる免許』と言われる普通免許ですが、普通じゃなかったらどうなんねんとお困りの方もたくさんると思います。よっぽどの情熱、みんな取ってるからという後ろ盾がない人は特に苦しむと思います。例外にもれず、ぼくもそういう人間なので苦労しました。でも、取りました。なので普通じゃない人用に合宿の攻略方法を紹介したいと思います。


①全体的な工程を頭に入れる。

合宿の期間は約二週間あります。初めの一週間で仮免まで。残りの一週間で卒検まで。というのが大体の工程です。


②仮免まで(学科)

仮免は実技試験と筆記試験どちらも受からなくてはいけません。ほとんどの合宿では、MUSASHIというウェブ試験が導入されています。その試験に最低一回は合格しなければ仮免は受けられません。


MUSASHIに関して

一日に二度受験することが可能かと思いますので、毎日受けましょう。MUSASHIの問題数は6題しかないので、三日間立て続けに受けると、四日目には一周して、初日と同じ問題を受験することができます。間違えた箇所をしっかりとチェックし、復習すれば簡単に取れるので、なるべく毎日受けるようにした方が後々楽になります。ただ初めの方は何が何だか分からないかと思いますので慣れるためと割り切って受けてください。


勉強方法

卒検にしても筆記試験にしても要領は同じです。間違えたところを見直す。これに尽きます。初めの方は未だ習っていない学科が沢山あるので、難しく感じるでしょう。ただ習っていない学科があるからと言って、勉強を後回しにするのは後々辛くなります。

ただ初めの三日間は学科で習ったところを復習し、わからないところを徹底的に噛み砕いていきます。短期間勝負なので予習もできれば言うことなしです。予習と言っても教科書を軽く読むだけでいいと思います。習う前に読む、習ってから復習する。最低、ひとつの教科に三回ずつ時間を費やすので覚えやすくなっています。イメージとしては土を耕して、種を蒔き、育てるという感じでしょうか。


教科書と一緒に配布される模擬テスト集は問題数も限られているので、四日目以降の使用が効果的だと思います。四日目になると学科もほとんど終わっている状態になっているので、こんなん知らんという問題がかなり減っていると思います。知らない問題ばかり解いていると気分がめげますし、勘で模擬を解いてしまう羽目になるのので限りのあるテキストが勿体ない。


模擬テストでの勉強

ここでのポイントは間違ったところだけではなく、迷った所もしっかりとチェックを入れて教本を読み直すことです。運は信用しないでください。少しでも迷ったらチェックして、間違ったところと同じように見直す。習っていないところであってもアバウトでいいので見直してみましょう。


座学についてはこれを二週間続けます。勉強時間はだいたい二時間くらいでしょうか。二週間ずっとこんな生活するのもしんどいと思うので根を詰め過ぎず適度に力を抜きましょう。


③仮免まで(実技)

個人的には勉強よりもこれが大変でした。座学はやれば伸びますし、やる時間も自分で自由に決められますが、実技は仮免段階だと一日二時間しか受講できません。その二時間の間に運転のエッセンスを抽出できるわけがない。運転は慣れだと言われますが、慣れには個人差があります。ぼくは三日目にして既に実技を二つ落としました。挙げ句の果てには自転車に乗ったことある?と教官に聞かれるレベルでした。


まず念頭に

車の法定速度は60kmです。馬もだいたいこれくらいのスピードで走るようですが、考えてみてください。馬に乗れる人間は当時で言えばビップです。お偉いさんです。一般庶民は俄然徒歩です。車が普及してまだ百年も経っていないんです。そんな簡単にスピードに慣れるわけがありません。汽車にしろ人間とスピードの歴史は始まったばかりですし、そんなに親和性もない。今でこそ当たり前にスピードのある乗り物に当たり前に乗ってますが、まだ出来立てほやほやの文明です。それに生身の人間が速度60kmで走れるわけがない。なので法定速度と言えども、運転となれば未知の世界に変貌します。

何が言いたいかと言うと、簡単にスピード慣れする方がおかしいのではないかということ。みたいな感じで開き直ってください。


動作を身体に叩き込む

運転するにあたって右よし左よし後方よし等の声出し確認は必須事項です。

また仮免段階での操縦は発進、一時停止、進路変更、右折、左折に集約され、そのそれぞれに行うべき確認があります。

これらを実技中にさっと覚えてしまう人もいれば、何かしなければいけないという強迫観念に頭を真っ白にさせてしまう人もいます。


ぼくは後者でした。なので、ぼくは自転車をレンタルして練習しました。指示キーのタイミング、戻すタイミング、確認などを手順通りにシュミレーションしました。やってくうちに情けなくなってくるのですが、そのうち出来るようになるので堪えてやってみてください。


コースの覚え方

方向音痴なのでとても苦労しました。ぼくのところは初級コース、上級コースと二つとも覚えなくてはいけなかったので大変でした。同じサーキットをぐるぐる回るので何周回っているのかわからなくなります。ただ覚えようとする内に基礎能力がついて、覚えられるようになります。コース全てを頭に入れる必要はありませんが、全て覚える気で覚えた方が実技の際に役立ちます。


予めコースのマップが配布されると思いますので、サーキットだけ簡単に写します。簡単に写したあと、コースを書きます。すると、曲がる必要ないやんここと思っていたところがなぜここで曲がらなくてはいけないのか理解できるようになります。例えば一週目で障害物を避けた後に、S時クランクに行かなくてはいけないからここを右折する必要があるといった風に、謎だらけだった地図が明快になっていきます。

ぼくは10回くらい書いたと思います。2、3回コースを写して、何もみずにコースを書く。コースを覚えてきたら先ほどの確認事項等をおさらいしながらペンを進めました。


④仮免取得後

仮免取得後は、特にコースを覚える必要はありませんので、格段に仮免より楽になります。学科の方は以前と変わらないペースで大丈夫です。


総括すると、免許は仮免までがとくに大変です。卒検前も苦痛ではありますが仮免よりまだマシです。これはすごく個人的な意見になりますが、免許を取得したところで、免許に対する熱い思いがなければ充実感も何も生まれないとおもいます。苦労した人ほど取得したときの達成感はひとしおであるとかよく言われますけど、ぼくは別に嬉しくとも何ともありませんでした。まあそれも人によるでしょう。ぼくは合宿を経験したことによって、普通とは何か考えさせられるキッカケになりました。













スピード

車の法定速度は60kmである。馬もだいたいそれくらいのスピードで走るらしい。高速なんて100kmである。機関車ができた当時、そのスピードはよく知らないが乗客は目を回したらしい。
馬に乗るときはお偉いさんも慣れるまで、さぞかし怖かったろう。一般庶民なんて怖くて乗れなかったろうし、そもそも所有する金すらなかっただろう。速い乗り物は富裕者の特権であった。

今でこそ車は一般的に普及し、人外のスピードを持つ乗り物に誰でも乗れる時代になったが、慣れるという人間の特性、常識があまりにも怖いなあとつくづく体感した。ブラジル産の豚肉が日本産の豚肉より安い。今でこそ常識であるが、地球の裏側からやってきた肉である。この世界を知らない人が見れば驚愕するに違いない。

ぼくが生まれたときには既にそれが当たり前な世界だったから、少しの違和感を感じたもののすぐに慣れた。原理は簡単だ。コストが安いところでいっぱい需要のある豚を殺して船に乗せたら安くなる。距離は金である。スピードに関してもそうである。生まれた時から自家用車があり、バス、電車、飛行機があった。
人間は環境によって変わる。縄文人の乳児を現代社会で育てれば普通に現代人になる。縄文人と現代人に脳の差異はないらしいから、環境にも適応する。社会は進歩したわけではない。様態が変わっただけである。人力以上のものにも臆せず向き合う現代社会でも、死者はなおもより畏怖の対象である。

スピードに慣れたくなかった。シャーマンでもないのに人力以上のものを操るような危なっかしいことはしたくなかったが、街から抜け出すためには、それに頼らざるを得ない。で、まあ渋々とった。
車を操縦したときにとてつもない違和感を感じた。どの運転者も予定調和を信じすぎているということである。操縦は技術よりも、それを上回る勘によって占められている。それがたいへん恐ろしく感じられる。車は人外の力を持つ。それが勘によって操られている。年間で4000人事故で亡くなっている。

予定調和をハナから信じていない人間にとってはこんなに恐ろしいことはない。



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無能な神様と欲深い人間

コオロギがベランダで鳴いている。こいつは律儀に玄関から入ってきた。あー玄関で鳴いているなあなんて思っていたらいつの間にか部屋に上がってたみたいで、夜中の3時ごろにやかましく鳴き始めたのでベランダに放した。それから数日経つが、まだベランダにいる。

少し寒くなった夜を求愛の羽音を鳴らせながら越えるコオロギ。だれかいたらいいね。でも、ここは二階である。一体だれに向けて鳴いているのだろう。アパートの下にはたくさん他の奴らがいるだろうに、どうしてお前はここに来たのか。でも、ほんとうだれかいたらいいね。

飯は何を食っているのだろう。心配である。壁の下を這って隣の部屋にも行けるだろうに、なんでおまえはここで鳴くのか。もしかしたら、昼間はべつのところに行って夜になると戻ってきて鳴き始めるのかな。だとすれば、なお、なぜここで鳴いているのだろうか。


教習所の便所にコオロギがハマっていた。ぼくは便意を堪えて丸めたティッシュでそいつを掬った。もう一匹羽虫が浮かんでいたが、そいつは既に死んでいたので糞と一緒に流した。

土に還してやろうと一瞬思ったが、死ねば終わりよ。蜘蛛の糸は生きる者にしか届かない。もう少し生きてれば生きられたかもしれないが、そんなこと言っても仕方ない。それがいつやってくるのかなんてわからないもんだ。来るまでもがくのか、祈るのか、いずれにせ生きていなくてはできない。

奇跡的にコオロギは生還した。奇跡的にと言っても道端に落ちてる石ころを拾うくらいのちゃちな奇跡だ。奇跡なんてちゃちだ。どこにでも落ちてる。どこにでも起きる。ちゃちな奇跡の集大成が人間だ。たまたま生きている。たまたまが奇跡でちゃちでどうしようもなくありふれた奇跡である。


話が脱線したが、コオロギをたまたま助けた夜にコオロギが玄関へやってきた。たぶん、別のコオロギだろう、と思いながら届かないロマンについて考えた。

コオロギは鳴くことしかできない。人間に惚れたコオロギは同種にそうするようにぼくにも鳴くことでしか愛情を示すことができない。ぼくはコオロギのメロディを愛であると受け止めることはできない。せめて愛かもしれないな、と耽ることしかできない。愛のメロディであっても間近で聞くとほんとうにうるさい。

コオロギのメスは泣かないらしいから、あいつはオスでホモなんだろう。性別以前に僕らが心を通わすことなどないのだから、コオロギが人間のオスであろうと豚のオスであろうと問題ないだろう。雌雄の問題はほとんどモーマンタイである。


コオロギは慰めてくれているのだろうか。頭から汁を垂らせながら貪り掻くぼくに秋を届けてくれてるのだろうか。まあそんなことどうでもいいか。たまたまそうなっている。たまたまそうなっているから、明日にここを離れることが決まったら、しっかりとさようならをしなくてはいけない。

勘違いでもやるべきことだろう。あいつがぼくが好きで鳴いているのだとしたら、いるはずのない相手に向かって鳴き続けることほど空恐ろしいことなんてないだろう。哀れで惨めで、忠犬ハチ公なんてたまったもんじゃない。

言えるならさようならとしっかり言ってやるべきだ。伝わらなくても。そういえば、いなくなったのかと後から気づくかもしれない。葬式みたいなもんだ。死人におまえは死んだって言ってあげなきゃ、惨めだろう。そいつは死よりも長い時間、聞こえもしない声で好きな人に語りかけるんだから。哀れだ。


明日は卒研である。一発で通ったらいいねと教官からお祈りされている。確かに通ればいいね。ぼくもそう思う。もしかすると通るかもしれない。だから、今日は自転車に乗ってフラフラしてみた。神社をいくつも通り過ぎた。お願いについて考えてみた。自分なら何を願うか、願うわけがない。

とつぜん、『おい、邪魔すんなよ』と願うおじいちゃんの姿が頭をよぎった。邪魔をすんなよと願ったところで、それもお願いであることに変わりない。でも、かっこいいなと思った。おじいちゃんの意思がお願いという枠を貫くような勇ましさ。二項対立には収まりきらない膨張というか。


ぼくの祖母は熱心な真言宗の教徒である。お参りの際は、いつも住所名前生年月日名前、誰の息子かを言わされた。で、いつも思っていた。神様というやつはどれほど無能で、人間はどれほど欲深いのだろうと。願いだ。ぼくは口で願い事らしきものを言いながら「お邪魔します」と挨拶をする程度にしか熱心になれなかった。 そんな酢えた子供がいまこうしていい年になった。あの頃の自分は間違っていないと今でも思っている。

祖母が信じているらしい神とやらよりも、もっとちゃちで道端に落ちている石のようなありきたりでありふれた奇跡を適当に起こしているのが神なんだと思う。だから願う必要などハナからない。勝手に蜘蛛の糸が垂れてくることもあれば、垂れないこともあるだろう。もしも、ぼくがお願いをするに至るならば、命をかけて他人について願うだろう。ぼくは決してそれを願いとは言わない。祈りと呼ぶ。







足首川


気がついたら10キロ漕いでいた。昼下がりに実技が終わったので宛てもなく自転車に乗っていた。距離も距離だったので国道を逸れた。

白く濁った中筋川にかかるタツノコ橋を渡るとエノという村につきあたった。しばらく進むと底の石どもがありありと見える川が現れた。

中筋川の支流か、その川上に伝う道路を川下から駆けた。途中、倒木してる箇所があったので自転車を止めた。それと同時に国道を爆走しながら聞いていた音楽も止めた。

道すがら杉が何本も倒れていた。川の中に杉が生えていた。もやの中に木漏れ日がさして、粒子みたいに小さな胞子が空から降っている。舞っている。懐かしい気持ちがする。

道は途中から獣道になった。イガイガの栗が地面に転がってるのを見てからしばらくたっていた。

川辺の道は消え、車が一台やっと通れる道はもはや落石、枝木、根っこを天に捧げる樹木、それらにまみれた苔、名も知らぬ植物たちの黄金時代を迎えていた。朽ちた木には名も知らぬキノコたちが群生し、エンヂンのようにたくましく轟々となる川は、音よりもやわらかい水温でぼくを迎えた。川は浅かった。足首か、深くてふくらはぎ程度の水深で、その明度はとんでもなくクリアだった。

川底で真っ赤なオーセンティック(靴)がやらしく光った。自分の足なのかどうか分からぬほど艶やかに見えた。河童の足はこんな感じなのだろうか。川の水で足を洗う。手を染める、足を洗う。人間の手は汚れる。足は土地に馴染む。

いくつか、人工の滝のようなものを超えた。旅は家に帰らなくてはいけないだろう。それが信じられない。山も登ったら降りないといけないだろう。そうでもしないと死んでしまうのだろう。

以前の滝よりも大きな滝が見えた。超えられそうになかった。川はもっと深く、先は倒木に満ちて、踵を返した。

浅い川。どこまでも、死んだように静かな川。川面に折れた杉か、斬られた杉かが顔だけを浮かべて空を見上げていた。死んだように静止した川。生死が川を下っていく。ぼくが進むぶんだけの波紋。それが円を描いて消えていく。あの空から放たれていたものは本当に胞子だったのか。あれがマイナスイオンの空を流れたとき、ぼくの心から何かが零れた。

あれは本当は、なんだったのだろうか。蝉の小便にも見えたが、蝉はほとんど死に絶えている。

もうすぐ秋が来る。サルも山から降りてくる。狸やイタチは道端で轢かれてる。「ああ、猿に会わんかったか、縄張り荒らしたらあいつら怖いからのう。ボス猿がおるけん」ハハハハハ。

オーセンティックの赤い靴は乾いて汚れている。未だにしぶとい木屑が付いている。ぼくは白い枝木を二本ちょいと拾って頭につけた。鹿のマネをした。底知れぬものが湧きそうだった。誰か俺を撮ってくれ。と思った。枝木をグラミチのハーフパンツに挿した。悲しかった。手放したのは惜しかった。でも、一体この街のどこで鹿になる必要があるのだろう。何者かになる必要があるならば、写真なんて生まれないだろう。

皮肉でも何でもなくて、眼球カメラとメモに書いた。



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