種をまく人

種は実らないかもしれない

実らないこともあるのだ

実って欲しいとも望まない

勝手に実ればいいし、勝手にやめればいい

別に実っていう名前をつけたところで

生が実るとは限らない

肚のなかで死ぬこともあるだろう

車に轢かれて死ぬこともあるだろう

そもそも実という名を付けないこともあるだろう

ぐらぐらと揺れる橋を渡っている

落ちるかもしれない 落ちないかもしれない そもそも橋を渡っていないのかもしれない

もしかすると橋を揺すっているのかもしれない

もしかするとそんな橋ないのかもしれない

種は実るか それは必然か 必然のように見えるのは志向性のせいか

偶然か必然かなど現実においては関係がない ありふれた当たり前でない奇跡の石よ

種を蒔いた 収穫する気などはない

勝手に育てばいい

そもそも実るとはなにが実るのか

霜の花か 食えるものか 夢か

それよりも その花を見れるとでも

それよりももっと甘美なるものを

『おお友よ、このような音ではない!我々はもっと心地よい、もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか』

歓喜の歌は否定から始まる。唐突な宣言とともにメロディがはちきれ、全能たる世界が顔を覗かせる。この世界は満ちている。あらゆる力が漲ってくる。身体から迸ったオーラが歓びへと炸裂する。まるでその様子は身体が血の花を咲かせるような光の破裂を思わせる。身体はただの輪郭であり、身体中には電光石火の光が駆け巡る。名指されたものから次第に爆ぜるように、次々に身体が爆ぜるのだ。

そもそも一つのメロディを奏でるために、何人もの人間が集まっているのだ。歌を奏でるためだけに集まる、まるで採光性の生き物みたいだ。何もクラシックだけじゃない、あらゆる所、あらゆる人々はそうやって歌を奏でている。

奏でるとは、メロディになるということはどういうことなのだろう。協奏曲というのは不思議なものだ。一つのメロディを奏でる、幾多のものが一つのメロディを構成する、このありえなさ。

間違いない。人間が今を超越するために歌は生まれた。

『そうだ、地上にただ一人だけでも

心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ

そしてそれがどうしてもできなかった者は

この輪から泣く泣く立ち去るがよい』

この輪から立ち去った者もいる。笑いながら、苦し紛れに、泣きながら去った者たち。で、わたしは思うのだが、歓喜の歌は立ち去った者にしか届かないのではないのか。その者たち、その者たちこそ人間である。

あいうえお作文

あ あんただけには

い 言っておきたいことがある

う うちらってな

え えらい

お おそくに生まれたもんやなあ

生まれたのは正午が回ってから。そのせいか、寝起きがとても悪く、朝に起きだししまうと別世界に飛び出したかのような心地になる。新鮮で不機嫌な朝が過ぎると、いつものような気怠い時間がやってきた。こんなにお熱な太陽がぼくの肌をタンドしているのに、このぼくときては日々の鬱蒼とした想いで押しつぶされそうになる。

今日は始まりから憂鬱だ。これからどうして生きていこう、と考えながら自転車を漕ぎ、始まりからあまりにも疲れすぎていたから、サブウェイに乗り換えた。憂鬱である。やっぱりどうあがいても憂鬱である。家に篭ってじっとしながら、寝たりしてサンが地上にセットしていく様を、オレンジに染まる自分の部屋で過ごしたくはなかった。そうすると余計に歌が深まる。シコリ倒して夜が始まるのを待ちたくない。外へ出る。眼に映る全てのものは刺激物だらけで、ぼくのアンチソーシャルな気持ちを一層掻き立てた。『こういった現存在』と関わっていかない限り、経済的に貧困していく。そして、今関わっている。

関わりを断ちたいわけではないし、働きたくないわけではない。もっと本気だしたいし、自分の狂気を解放したい。作るという言葉が重くのしかかる。怒りと怠さと眠たさと、ないまぜになった心は身体から湯気のようにホルモンを散らす。アトモスに乗り込み、虚ろな目で靴を眺めていると、店員さんの慄いた目をおれの目尻が捕らえていた。視線とは目の数だけあるのを忘れていたから、少し驚いた。

暫く歩く。恣意的な値段設定が散見する街で、値段とはいつも恣意的なのだけれども、なお仕事が嫌に輝いてくる。仕事、接客、この人たちは意味のわからないクレームへの恐れから婉曲表現を強いられた人間たちだ。これが日本の仕事なのだと思うと、侘び寂びだ。侘び寂びは今、別用に輝いている。言葉は反復する。意味はほとんどそのままに、背景だけが絵馬のように変わる。

街をまだあるく。腹にタコライスを入れると元気が出た。それでも、人はこうも煙たくて煙草に巻かれるよりも辛い。歩いた。ある古着屋へ行った。いつもは滅多に行かないところだ。店員さんの態度がやけに初々しく、友達のようなスマイルを浮かべてくるのでこの人は帰国子女なのだろうかと考える。年齢を聞かれる。

『16歳!16歳ですか!!』とこの店員さんの愛嬌は素晴らしくナチュラルでいいのである。話を聞くうちに彼女が16歳であることが判明し、色々と納得した。

素直であるということ、友人が言うに、革命は狂気ではなく、素直さが引き起こす。まさにその通りだろう。上の階に行くと、21歳の店員さんに『アパレル入った方がいいですよ!イイです!顔がイイです!』と言われ、謙遜するのもおかしいし、ありがとうございますと返事をした。ぼくもアパレルはいいなあと思うし、もうぼくにはそれしかできないなあと思うこともある。服の歴史は深いから、そこへダイブできる楽しみもある。時代をズラしたり、時代性の強いものから時代性を剥ぎ取ってコーディネートに還元するのも好きだ。

ファッションはズラすことができる。今日も実は、ズラした。ハンティングベストを、トーンの異なるショーツと合わせて似非セットアップを作り、チェーンショルダーと茶色のタンクトップ、厚手のホワイトのソックスでストリート色を出した。

色、生地、サイズ。を身体の上で配置させる。コラージュだ。絵を描くことではない。あくまでコラージュだ。ぼくの文章もほぼ配置だ。最低限の文法をベースに組み合わせる。言葉が加速し、想像が加速する。文法の上で意外なものと意外なものが混ざり合い、何かがすり抜ける。疾走する馬の筋肉を競馬場で眺めるのではなく、この街は疾走する馬の筋肉だとかしてみる。強さだけが響く。強い磁場みたいなものが次の言葉を可能にし、不可能にする。

女子高生にアパレルの接客される機会があまりないから、すっごいいい体験した気分になり、ライオンマジックのおっちゃんに伝えようとお店へ出向いた。

ここでぼくは1つの暴力を働いている。ぼくは店員さんを女子高生と呼んだ。ぼくの言動は、店員さんから個性を剥奪し、ただの社会的な身分である女子高生に置き換えている。名詞の悪夢、名前の悪夢。どちらも悪夢。

おっちゃんはいつも飲み物をくれる。夏はジュース、冬はコーヒー(たまに昆布茶)。今日はザクザクに氷が入っていた。一杯目を飲み干す。二杯目を注いでくれる。ぼくは大体、二杯飲んでいる。古着でわからないことがあれば、おっちゃんに何でも聞く。何でも教えてくれる。ぼくはこういうおっちゃんに出会ったことがないので、初めて会ったときはびっくりした。

プライスには値段が書いていない。たまにエッセイが書いてある。店内には爆音でレゲエがかかっている。今日はJ-popがかけられていた。ぼくも大沢誉志幸を聴いていたので調子が合った。モノを買う。カッコいいから買うのだけれど、それと同じくらい誰から買うのかは大切なことだと考えている。

ぼくはヤフオクもメルカリも使う。そのとき、ぼくはモノだけを買っている。古着屋で買い物をする時とはちょっと違う。ぼくは強くこの人から買いたいと望む。

何か今日は幸せに満ちていた。色んな関係がある。色んな人への触れ方がある。売り買いも関係である。そこにも色んな売り方、色んな買い方がある。19時も回った。服には思い出が染み付いている。服に金を払うとは、その縁を切り、新たな関係を結ぶことだ。ぼくは今日、四着の服と新たな関係を結んだ

震えるのだろう

地面は震えるのだろう

人間は震えるのだろう

蛙は震えるのだろう

落ち葉が震えないということなどないのだろう

風がなくだろう

水面は涙の一条で

肌を2つに割く その間に流れる涙は境界線 ゆらぐ境界線

その虹のような不確かなものをきみは信じすぎた

震えるのだ 身体が

きみはどうだ

ジェンダレスでセンスレスでセックスレスな曖昧な 生きた心地とは遠く隔たったところに おれの身体はある

火事場泥棒の如く 大胆に

猫の跳躍する背骨のようにしなやかに

おれはうまれた

脱臼した子宮から その何億年の歴史の体積が3000gの赤児の魂だった

半分に折りたたまれた白目を開け

目は黒点とともに 燃え始めた

パ行の誕生

ラジオから不意に流れたメロディが

身体を揺らした。知っている。あの頃のように揺れている。メロディとともに身体が揺れている、かつてのように。音とタンゴを踊る、タッタカタタタ。80パーセントの水分から成る、この身体が音楽と化す。流れる泪は故郷を灯し、形なく堕ちる、汗とともに、タンゴ、タッタカタタタ。ああ舞っている、あのときのように!

知っている!知っている!思い出している!タッタカタタタ。思い出を作っている!散る断片をクモの糸で紡いでいる。一つにまとまらず、音が轟々と止まない。契り。波との契りが切れるまで、指が千切れても踊りな。血飛沫で真っ赤に染まったから!ほら、ボアラ!知らない音が身体をながれ、指がフロアを這いずり、乳首がミラーボールをぶっ飛ばす。頭は吹っ飛び、身体が限界を超える。あのタコのように躍ってるのがきみの身体!ケツ穴に指をつっこみ、膝で拍を打つ、ペニスを軸にメリーゴーランド。全身生殖器。ウィルス、空気を犯す。タカタカタカマカマ、タカタカタカタカタカマカマ、ガス爆発!ボアラ!ボアラ!唇が破裂音を放つなら、きみはパッ!ごとに弾ける心臓の鼓動のように。パッパッパッパッパンッ!音に熱され蒸発。ポッポコッポッポッポコポッポッポッポポポランスキー!それだ、きみの名はポポポポランスキー!それがエコーのように鳴る、足る。熊猟るコサック、ラッセル、タッセル鳴らす、ませるガキ殺す。エッフェル塔濡らす、東京タワー濡らす、首から味噌垂らす。蟻にあげる、喰らえ、蛆虫。この身体!

ポッポコッポッポッポコポッポコッポッポッポコポポップコーン!

エルメスのジャンボチョーカーをここまで野卑にする俺の名前はポポポポポポポランスキー。最近、セルフタイマーで写真を撮る技法を見つけたが、見てほしい。なんてことだ!太陽の下で写真がとりたい!太陽がだいすきだ!ゴールデンウィークバルカン半島まで時速5万マイルでマクドナルドヘ行くつもりだ!ドライブスルーじゃないドライブブローだ!つまりバルカン半島へ行く途中でグーテンベルクの高級住宅街に住む寝返りした赤子たちをもう一度うつ伏せにしてそう、チャチャイモッコス!嗚呼、チャチャイイモッコス・スロベテーター・イワノビッチ・マッシロン!俺は人差し指を向けて嬉しそう。それは音速で壁に頭を打ちつけた比嘉愛未みたいな鉄道だ!友よ!3:33分、1分後にはもうバルカン半島を南南南南へ悪戯な風だ。ベードーベンよ、その輪の中にゲーテを入れてやれ、去れ!おまえは去れ!ああ蚊と蠅の間を時速5万マイルでぶっ飛ぶるおれは現在星時間4:44分 おれの名は星野星一、星生まれ星育ちの星一 星の貴公子!つまりおれが星で時速5万マイルで移動する数学用語でいうところの点Pだ!休日になんばで下車するヘタレどもと平日に淀屋橋で下車するヘタレどもの間を時速5万マイルでぶっ飛ぶる俺の名前はポポポポポポランスキー。バブルの破裂音とともに生まれたパ行内の重鎮、略して点P、正式名称星野星一肩書きは比嘉愛未みたいな鉄道だ。カウパーみたいなエーテルみたい血飛沫みたいなTカードみたいなゲルマニウムチタンみたいなチツカンジタみたいなゴウダマシッダールタッみたいな歯茎がキラウエアを噴火させるみたいなチャチャイモッコス・スッパニターター・イージースージー!会いたかったよ!