ゴッドファーザー

街行く一匹の子猫でさえ打ち殴りたいような気持ちと未だ日のないときに吹く黒く淀みのない風がかしらを流れる。身体が緩やかに痒みを帯び、熱はなく、我慢と暴発の狭間を這う。一日について顧みれば長く、あらゆる憤りが一片に間歇的に涌いてくる。それはもはや一日が積年の恨みで重くなり、きみの神すら拒絶しきみともども葬りたいような気持ちすらよぎる。なぜ赦すのか、この怨念は見えない亡霊の如くつきまとうくせに烈火のように白昼燃え続けないのだろうか。殺したいほどの恨みとはなにか、どんなにテンパーをルーズしようともおれがコームダウンするのを知っている。ゴッドファーザーは知っている。マイケルは裏切りを赦さない。謝罪を受けても裏切者は絶対に殺す。殺す代わりの譲歩を提案しながらも、裏切りの確証を得れば赦したふりをして殺す。ゴッドファーザーの世界に謝罪はない。心の迷いであろうが、謀反を起こした時点で初めから殺すという選択肢しかないのだ。感情に振り回されることなく、政治的な判断の下、期を待って殺す。そのあいだにどんな埋め合わせがあろうと、決断が揺らぐことはない。ゴッドファーザーは怖い映画だ。そして、とんでもなく美しい映画でもある。作中では死はとんでもなく軽く、とんでもなく重い。なんの躊躇もなく、あっさりと人が殺されるにも関わらず。一発の銃声が響いても、周りの景色は変化することなく無関心に流れる。その無関心が孤独な死の輪郭を浮かび上がらせる。背丈より高く、金色に染まった穂と黒く艶のある高級車。ドカーン。立ちしょんから戻ったクレメンザは、後部座席にいる、裏切者を始末した部下を従え、車を離れる。奥さんに頼まれたケーキを持って。金色の穂と死人だけが取り残された車。穂と車の配置が絶妙だった。車のやや右寄りの配置が黒々とした死の孤独を表していたように思う。穂が風に揺れていた。喉が詰まるほど美しかった。