気づけば何とも言えない物語を作っていた。批判されればされるほどその作品と化していくという謎の構造を孕んだ物語となった。バグみたいな物語。謎の本質は解けなさにある。

謎は穴である。埋めようとすればするほど、穴のまわりを廻るはめになる。こんなアホなん作りたくなかったけど、どうしようもない。批判でなく批評じゃないと、穴を廻るはめになる。

詩の方が作品として成り立ちやすいような感覚があるから物語を千切って散らしてたが、ついにはその形態にも無理が生じて文章に起こしてみた。すると7時間くらいモーターが回った。

寝ぼけながらいうジャーナリズム的な視点で書いている笑いの王ってやつは、強烈にアンチで像を結ぶよりも線でアキレス腱つくるみたいな感じやからいつでもできる。

接続しすぎてかけなくなったタブレットにある作品群はタコを凧にして解いていったらいけるかなって感じなのでいつか頑張ろうと思ってる。『もうひとつの街』アイヴァスを参考に書いてたらついにはアイヴァスと同じような苦しみを味わうはめになって途中でやめた。

それよりも、気になってるテーマがあって本の土台、紙の外在性について。ものとしての本があり、読書の本がある。文字にしろ言語と絵画のあいだでいつも揺れてる。それらの下には勿論紙がある。紙ってすごい受動的にみえるけど中動的やろう。外在的で中動的で、かみさまなんちゃうかと疑ってる