仮の答えを提出しつづける

ある本の影響で読書の方法をかえた。

前のスタイルは憑依型で、他人を自分に憑依させていた。言語化不可能の域にまで他人を自らに憑依させ、言語を窒息させるスタイル。感想を聞かれると、痴呆症者の振る舞いのように答えることしかできない。やばめのスタイル。

わたしはもっぱら憑依型で影響をかなり受けやすい。それはいいことだが、限界のあるこの身では受け止めきれない。あらゆるものが無限に広がりすぎるからだ。

で、この方法では生きられないことにやっと気づき、情報を切断していくスタイルに切り替えようとしている。とはいっても、切断し過ぎず、情報を切っていく。潜在性に潜りはするが、現働化させ潜在性を広げ過ぎない。今までは自分の有限性(身体)を無視し過ぎていたので、ことばを失い、過剰なほどあらゆる本と接続していたので何が何だかわからなくなっていた。それを気づかせ、実践へ導いてくれた本が

千葉雅也『動きすぎてはいけない』だ。

この本を何度も読みすすめるにつれて、これはわたしのために書かれた本だと感じた。本書を読んでいると、スピノザライプニッツ、メイヤスー、マラブーを一度読まなくてはいけないような気がする。しかしながら、わたしが今読むべき本はこの一冊だけだ。

たとえば、それらの本を仮に買ったとする。求めていることは切断と接続の過剰さを調節することであり、それをいかに節約するかということ。いわば、仮の答えを提出し続けること。

それらを探すためにわたしが彼らの本をたらい回しに読めば、本書の意図ともわたしの意図とも逆行することになる。シニフィアンの連鎖のような状態にまた足を踏み入れることになるのだ。何度も読んでそれに気がついた。今はこの一冊を読む。買って半年以上経つ。この書物をしっかり使いたいと思う。

はじめの実践の場としてツイッターを短歌に切り替えた。これはいい。文字数という有限性のなかでツイートする。無限に膨らむ潜在性を断ちながら、ことばをはめていく快感。ときにはみ出すけど、ただの字余りだ。

切断し過ぎるジャニーズから接続し過ぎるSNSへ移行した香取慎吾もこの本を是非読んでいただきたい。きっと参考になる。

クラブミュージックに疎外感を感じる人、イエスかノーかという命令に嫌気がさしてる人にも是非読んでいただきたい。