日出ずる迄

あの感覚を始めて味わったのは、エロ本の無人販売機へ行ったときだった。朝とも夜とも言えない中途半端な時間帯で、夜にしては蒼が冴えて、朝にしては蒼が鈍い四時ごろ。おれ以外の人間は死んでいるのではないか、と思ってしまうくらい世界はひっそりとしていた。起きているのはおれだけなような気がして、世界の秘密を知ったような気になったり、世界の寝首をかけそうな気にもなった。昼間は車が忙しなく走る国道は猫の溜まり場となり、あちこちで猫たちが集会を催している。自転車を走らせると、夏のくせに切る風は冷たい。世界はおれに不意打ちをされているのかもしれなかった。夏だ、なんて言ったって、みんな寝てしまえば、世界が夏だなんて誰がしりえる。みんながねると世界は夏をやめる。はじめてスーパーの従業員通路を沙耶ちゃんという女の子に連れられて入ったのとよく似た感覚がそこにはあった。

信号は黄色の点滅を打ち、秩序崩壊後の世界へ来たような気がしてぼくはまた世界を不意打ちしているような気がした。エロ本を買うまでのショートターム、おれは世界を遡っていた。中学校一年生、門限七時半。夜の外出は控えなければならなかった。夜の一時、世界はまだ夜だ。夜の三時、期待に胸が踊る。そして、四時。夜とも朝とも言い難い、グレーゾーンへ差し掛かるとおれは早速自転車にまたがり、夏目漱石を財布に入れて走り出す。

月日を隔てれば、無人販売機へ行く必要もなくなる。エロ動画が普及したし、携帯も手に入れた。親にバレるのを恐れた、友人たちのエロ本はおれの家に集まった。動画が普及すればエロ本なんてリスクでしかない。

月日をもっと隔て、おれはホームレスになった。ある日の夜、あまりの寒さに目を覚ました。冬の河原、枯れ草一面には霜が走る。世界はまたひっそりと佇んでいた。野草を踏むとシャリっと音がなった。世界は蒼く、蒼く、おれは世界の寝首を掻いてやった。みんな死んでいるのでないか。おれ以外の人間は、みんな寝ている。おれだけがいま、世界の秘密を舐めている。河原を散策する。向う岸から太陽がゆっくりと、ゆっくりと、登り始める。黄金だ。黄金時代だ。霜がキラキラ輝いた。いたるところで、きらきらきらきらきら霜が光った、日向に集った雀たちがぴいぴい鳴き始めた。おれは土手に座って、太陽が頭を出すのを眺めていた。剥き出しの顔に暖かい光があたった。生の歓喜を知った。