カヌー

もうぼくはわりと仕事のことなんかどうでもよい気がしているのだ。またあのひもじい生活するのは嫌だし、金ない金ないつって燥ぐのも嫌だし、いろいろと仕事やめるにあたって嫌なことがたくさんあるのだけど、ぼくのなかに明確に色づき初めてる夢は湖の畔で暮らすことだ。

四万十川でカヌーを漕いだことがある。カヌーはあんなに気持ちのよいものなのかと思った。手一つで止まることも進むこともできる。身体の感覚に沿っていた。湖のうえを浮かびながら本なんて読めたらなんて素晴らしいだろう。だれも来ない。寂しくなれば、畔まで戻ればいい。だれかくれば嬉しいだろうな。おおい、林檎食べますかとか言うのだろう。毎日、毎日、カヌーを漕いで本を読む。そして、何か書く。湖のうえで朝日を見る。毎日だ。夜こっそり抜け出して死者たちと月の下で戯れる。ちゃっかりラフロイグなんか持ち出して湖にもやる。湖と仲良くなる。

死んだように美しい夢だ。ぼくはもう死んでいるのかもしれない。まあそれもいいだろう。

マオリの女に連れられて、町から三時間歩いた。酔いどれの白人は千鳥足でぼくらを案内した。一人、一人、この橋を渡るんだ。渡ったらヤーと言うんだ。絶対に声が聞こえるまで橋を渡ってはいけないぞ。ぼくはなにか声が聞こえたような気がして橋へ足をさす。橋が揺れた。白人が叫んだ。ストュウーピッド!マオリの女は笑っていた。ぼくもはにかんだ。ヤー!橋を駆けた。グラグラと足下が揺れる。綱が軋む。みしみし。如何なる音も夜の静寂を破ることはできないのだろう。音を立てれば切ない。ぼくは夜を渡った。その先もまた夜だったけれど。イクサイティッド、ソーエキサイティッド。ヤー!橋が揺れた。落ちたら?死ぬよ、たぶん。わりと高いんだ。翌朝、同じ道を歩く。背の高い植物が随分とあった。シダ、フェニックスみたいな植物が朝霧のなか佇んでいた。川の轟々と流れる音は夜から朝まで一入に聞こえてた。例の橋に差し掛かかったはずなのだが、記憶にないのだ。たしかに通ったことは通ったはずなのだが、思い出せない。個性豊かな差異しかない植物たちが心を彩っているだけだ。