脳さん

守口市駅で京阪は準急に連絡する。準急は直ぐに来ることもあれば、数分後に来ることもある。数分のあいだに、各駅停車は進む。準急を待たずに京橋で乗り換える。各駅停車は中之島行きが多いのだ。

先ほど守口市駅で連絡した準急淀屋橋行きを待つ。一分も経たず準急が迎えに来る。各停が一駅ずつ踏んづけてきた駅を、準急は振り向くことなどなく、平将門の首みたいに颯爽と京橋まですっ飛ばしてくる。だから速い。

守口市で準急に乗り換えたお友達と再会する。あの時待った人、行った人。待った人を待つ先立った人。不思議である。ともに別の時間を過ごしていたのに、線路の上では同じ時間を過ごしている。ダイヤル通り、つまり予定調和だと言われるからなお奇跡のように感じる。

奇跡は自明であればあるほど奇跡とは呼ばれない。

昨日、ぼくは錯乱した。扉に頭突きをかましたのはいつぶりだろう。なっ、錯乱していると言いながら、コンクリートに頭突きしないのは何でだろう。未だ殴れそうなところをキレながら探してるのはなんでだろう。といいながら判断を誤って金庫を蹴り飛ばした。まだまだ怒りが足りないのだろう。テンションゲージが振り切れないと、そういうことは出来ないのだろうか。少し思うことがある。

実は怒りも悲しみも理性がコントロールしているのではないか。錯乱も狂乱も、じつは理性がここならイケるぞっていう隙間を見つけて怒りや悲しみを合理化してるんじゃないか。これならキレることができる!ヤッフーーー!!!いけいけいけ!!という理性さんの掛け声は存在する。

ところで理性は存在しないのである。声をかけたり、抑止したりするのは欲望さんである。欲望さんを抑え込むのが理性なのではないか、そんなわけあるか。野生も理性も欲望さんである。桐谷美玲は可愛い。

おれは脳である。脳は空座の王である。手の欲望を拾うのも脳の仕事である。身体のあらゆる欲望を実行するよう命じるのが脳である。脳は器量良くなければいけない。脳は優しくなければいけない。身体が心地よくなる方へ舵を切るのが仕事であり、身体に自重を求めるのも脳である。レヴィ=ストロースの首長の原則は脳に求められる。

主体がないのなら脳の話などするな!とはいえ、これとそれとは脳と手ほど違う。