はやく辞めたいから頑張るぞ💪

リセール市場が大っぴらになってしまったから、消費を楽しめる人が少なくなった。憧れも人の垢さえ気にしなければ手が届く。よっぽどでなければ。現行社会にとって、リサイクルショップ店員はキヨメみたいなものだ。祝詞を唱えたり塩を撒いたりする代わりに金を払う。金を払ったものは売ることができる。なんでも払える。金にさえなれば。呪いやら因縁やら、そんなものとは無縁の場所にいる。とんでもない仕事をしている。金は縁を断つもの。だからお祓いをするために燃やしたりしない。

モノには終わりがないから、市場をぐるぐると回り続ける。職人冥利に尽きる。ボロボロになるまでモノは使われ、ボロボロになると捨てられるかまとめて売られる。モノがやっと死ねるのは、価値を失った時だけだ。モノと人との縁はどんどんと希薄になり、モノは代替可能な記号と化す。

会社において人間もまたモノである。代替可能な記号である。代替不可能なもの目指して現代人は名を上げようとするのだが、実際のところポジショニングの問題なので代替可能だ。代替不可能なものを目指すという目標自体が既に代替可能性に孕んでいる。

代替可能か不可能かという問い自体おかしい。どちらとも同じくらいある。こんな話はどうでもよい。

ぼくはもっと原初的な光景を見ていたし憧れていた。海辺で漂白されたものに名を与えるような、ロマンだ。南方熊楠が粘菌に名を与えるときのような興奮とか言っちゃうと大袈裟やけども。ある程度は予想はしていたが、この仕事だれでもできるやんけ!笑 ってとこも予想していて、なるべく誰もやってないことをやろうとしているのだが、実際数字を取れるのは誰もがやっていることをやること、市場に従うことである。苦痛だ。想像はしてたけど、苦痛である。熱意だけでできるものではないと想像はしていたが、それを上回る苦痛である。闘いは、実はかなり地味である。チンギスハーンみたいに行きたいものだが、実際チンギスハーンも地味だったかもしれない。闘える態勢には入っているが、あくまで態勢。

各スポットに菌(罠)を撒いているが、成功する見込みはない。会社なんてどうでもよい、企業理念なんざ覚えたふりをしてればいい。店長なんて目指していない。

おれはおれの闘いで忙しいから会社も給料もどうでもよい。会社はおれを使えばよいし、おれも会社を使えばよい。それが集団と個人との辛うじて可能な繋がりじゃないかと考えている。会社が家族とか気持ち悪いことを言う。互いに利用し合わない限り、搾取は生まれ続ける。搾取するな!ではない 、利用させろ、利用しろでいいのではないか、会社はもっと利用しろと言えばよく、駒たちはもっと利用させろと言えばいいのではないか。言いすぎた。そうじゃない人もいる、そうじゃない人にとっては暑苦しいだけでリズムだけ整えてくれたらいいもんね。とりあえず、金あげるから働けは分かった、働いたるから好きなことさせろ。労働の対価は金である。信仰もしない、好きにもならない。おれときみは法律、契約の下、金と労働を交換し合う関係に過ぎない。会社もとい集団のメンヘラ体質はたまらない、いたたまれない、はやく辞めたいから頑張るぞ💪