朝も夜も昼も木馬

パクリパクられ、文化の盗用、剽窃、どうでもいい。自己啓発本関係であるあるなのが、『これは昔に〇〇が言っていた』とかいうクレームである。どうでもいい、自己啓発本は言葉を置換しながら増殖する神話体系なんだから、今後も変わらない。クソしょうもない。それと同じくらいどうでもよいことがある。パチモン撲滅運動である。

パチモンを撲滅しよう!と言ったところで、パチモンは減らない。本物を買う人も、パチモンを買う人も同じ地上にいて、同じ世界に住んでいない。

人間は衣を以て位を成してきた。それは昔も今も変わらない。人間は位に欲情する。ファッションはその彼岸にある。ファッションは記号を錯乱させる。ファッションは形である。だからファッションをしている人間は人間ではないということだ。ファッションにおいて、パチモンかどうかは大した問題ではない。ファッションには、パチモンという概念がない。

ただパチモンは醜い。これは認める。複製画などいらない。有名人の格好をトレースしている人間くらい醜い。つまりは流行が醜い。ラーメンの替え玉くらい醜い。人間は醜い。

おれは最近諦めた。才能とかそういうのではなく、無理な奴は一生無理だ。システムに迎合できない一握りの奴らの系譜は永遠に少数派のまま。この世界は赤子のふりをして年をとる。何が21世紀だ。何が22世紀だ。何世紀経とうがクソはクソだ。何世紀遡ろうとも同じだ。何の闘いだこれは。何を伝える?みんな自由に発信できる時代になったらしいが、ぼくもその光を授かっているが、太陽ヅラした奴らがおれおれアピールするけど、所詮太陽なのだ。太陽って名前をつけようが大洋だろうが大陽だろうが、人間である。おまえらは醜い、そして、おれも醜い。危ないところへ走っている。そろそろなにかを書く時期に来ている。