令和を知らない者


とても大きな共通の記号が発表されたとき、わたしはアメ村の三角公園前の、いつも、つまらい広告を垂れ流しているヴィジョンの前にいた。黒でバッチリ決めた黒ずくめの集団と、未だ青い子供たちは新元号の発表を待っている。知らない頭がたくさん公園に、知らない頭がたくさん公園からはみ出て、この時代の次の時代の名付けを待っている。


わたしたちは、あまりにばらばらだ。時代の名付けほどに強力で包括的な記号の授与はない。誰が死のうとも、誰が生まれようとも、誰が殺されようとも、わたしたちは何を期待しているのだろう。アカルイミライか、この平らになった終わりなき日常が風雨に晒されることを望んでいる。


時代は令和と名付けられた。これから生まれてくる子供たちは、令和生まれになる。その前に死んだ者たちは令和を知らない。わたしたちは令和を知らない者が知らない時代を生きる。そう言えば感慨深いものがある。日本という国だけの話だが。


「新しい元号は令和となりましたが、いかがですか?」


「ぼくはてっきりヒップホップになると思っていたんですが。びっくりしました」


記者に話しかけられるのを想像しながら下らないことを考える。「怒るでしかしでも良かったんですけどね」


平成に死んだ者たちは令和を知らない。生きるわたしたちには共通の言葉がどんどんと増えていく。


有識者「平成の次の元号を教えてあげようか?」


ホステス「知ってるの〜おしえて、おしえて」


有識者がボソッと呟く。


「令和だよ」