その、ことば

「闘いつづける限り負けないのだ」キキちゃんは、ぼくの言葉を憶えていた。ぼくは忘れていた。エネルギーに満ちていた自分を思い出した。こうも隔たったところに、今がある。忘れていた。でも、キキちゃんはぼくの言葉をずっと忘れずに何かと闘いつづけていた。

その言葉は坂口安吾から引き継いだ言葉だ。キキちゃんがそれを口にしたとき、頭から光が飛んで目眩がした。「一体、何と闘っているというのだ。勝てるわけがないじゃないか、人間が勝てるわけがないのだ。でも、闘いつづける限り負けないのだ」

キキちゃんは憶えていた。ぼくはいつの間にか、何かを社会にすり替え、社会を会社にすり替え、代替できない怒りや悲しみや退屈の対象を身近なものとすり替え、闘うこと自体を忘れていた。闘わないという選択肢が生きるうえであり得るのだろうか。闘うことが生きることだ。もっと怒れ、もっと悲しめ。社会なんてどうでもよい。おれは戦争機械であれ。おれは闘いであれ。おれは文人ではない。作りたいだけの人間である。即席のもので抗え。武器を持つのに武器屋へ行くな。フォークで闘え、マンホールで闘え、植木鉢で闘え。ことばも使え。使えるものは何でも使え。お前という二人称をもって呼びかける得体の知れないものと闘え。人間と闘うな。もっと大きなお前、顔も知らないお前、声も形も知らないお前、おれの声が届いてるかどうかすら分からないお前におれは闘え。おれはそれだけと闘え。社会は炸裂している、そいつらをああだこうだ言うよりも、おれは生きろ。おまえを履き違えるな、神を作るな、即席の神を設けろ、すぐに追い出せ。呪い殺せ。それが地に足をつけられない、おれの闘いなんじゃないか。