おれたちヒューマンビーイング

折り畳み自転車とノースフェイスのバックパックを背負って高校へ行っていた。当時クソほど馬鹿にされたのを憶えている。なんでそんな服着るのかと訊かれ、鮫みたいでかっこいいからだと答えると、みんながおかしいと思ってんねんから、その格好おかしいねんでと、ミッキーマウスのメッシュキャップをを斜めにして被ってる雑魚に言われる。

で、一年後である。気持ち悪いほど多くの同級生かまミニチャリとノースのバックパックを背負い、自分の中傷していたマウンテンパーカーとかを着だした。まあ気持ち悪いのである、この光景が。そういう奴らが今はモンクレなんか着飾って、昔は古着屋とか行ってたとかほざくのである。死ねばいいのにと未だに思う。27歳になっても未だに思う。それがずっと根にあって、流行も、人間も、嫌いである。安かった服がべらぼうな金額に跳ねる。市場もキモければ、人間もキモい。

今も昔もストリートと大衆の間には一年以上のタイムラグがあり、その波は同心円のように広がっている。ぼくは今、その同心円の末端みたいなところで、これまた嫌いなディーゼルを半額にして売り捌いている。何が流行っているのかも、何が廃れているのかも、住んでる場所によって変わる。流行は同心円の波状だというのは最近わかったこと。流行りは過去で同時に未来でもある。サイクルが激しいからこそ同時に見える時もある。

話を戻そう。自分で何がかっこいいのか分からない奴ら、ものを見ることができない奴ら、そういう奴らを一言でまとめれば、色んな意味で情弱、情報弱者になる。自分のアンテナもないし、俯瞰的な視点もない奴らの総称がそれだ。そういう奴らのために大企業さんがいてるのである。よくあるスローガン、『幸せを届けたい』なんて建前じゃないか!と憤るが、本当に幸せを届けているのである。儲かるからやってますねん!で済むことを、アホなオマエタチに分かりやすく言ってくれているのだ。気分を害したか?どうでもいい。オマエタチは幸せだ。おれも幸せだ。永遠に分かり合えないことを常々見せつけてくれるから、私は落ち込んだり、ハッピーになったり、毎日退屈を凌げる。みんな違わない!おれたちヒューマンビーイングは、おれたちは日本人で、おれたちは同じ言語を話すのに何も分かり合えず、それでもおれたちはヒューマンビーイングである。

話は変わるが、私には最近夢が出来た。夢なんて今まで持ったことがない、この私に夢ができたのである。これほんまにすごいことやと思う。

ウガンダルワンダの辺境にゴリラの住む森があり、そこへ行くツアーがあるらしい。実際に、遭遇した場合は目を合わさない、音を出さない等色んな制約がある。人間どもが下を向き、気配を消している中、ゴリラはまるで人間をおもちゃのように弄んだり、存在すらしていないかのようにむしゃむしゃ葉を食べたりしている。そんな動画を見てコレだと思った。