女将さん、イッセイミヤケ 、イシヤク

第一、おれがぼくという一人称を選んだ段階で警戒した方がいい。小さめのピルをシャネルのマトラッセから取り出す女。

フォールインラブ、主語。旅館の女将さんというのは不思議なもので出迎えと見送りしかしないくせに、何日もお世話して頂いたかのような気持ちにさせる。2回しか会っていない他人である。終わり良ければ全て良しなんて言うが、女将さんほどのフィニッシャーはいないだろう。

芦原温泉へ行った時のことである。帰り際、女将はイッセイミヤケのセットアップみたいな生地の単色の揃えを着ていた。多分、イッセイミヤケじゃない。色味的に。ミセス衣料とイッセイミヤケ紙一重である。どちらもイカしてる。送りの車に乗り込んだ。ガラス越しに女将さんの姿がふと目に留まった。まるでイッセイミヤケのマネキンかの如く美しい流線を描いた姿勢で、シルクのハンケチを健気に振っていた。お母さん、生き別れた息子を気遣う昭和の母のような振る舞いは胸に込み上げてくる何かがあり、同時にそれは笑いでもあった。

風に揺れるシルクの美しさ、ドレープ、ゆらぎ、可憐さと寂しさと、人が風に布をあてるとき、言いし得えぬ思いを風に委ねているのかもしれない。負けましたの白旗も別れを偲ぶハンカチーフも。

女将さんはイッセイミヤケだった。

イッセイミヤケのことは全く知らないがイッセイミヤケアーカイブなんかを見てると風を思い出す。それを見ているとイシヤクを思い出す。でも、イシヤクがイッセイミヤケ かと言われれば多分違う。またイシヤクが女将さんかと言われれば絶対違う。どちらかといえば、風にたなびくシルクのハンカチがイシヤクだろう。だからイシヤクを持った女将さんがイッセイミヤケ 的だった、ちゃんちゃん。んなわけあるか、やめさしてもらうわ。

イシヤクがおむらじで、本がペタンと開かないから、別のページが目にチラついてしまう。と言っていたが、おれも気になった。女将の振るシルクの横でプリーツプリーズがはためいてたら、風のアンニュイを見過ごしてしまうだろう。うわ、綺麗だなあとなっても。インスタレーションじゃあるまいし。