友達が書くなと言った

友達に書くなと言われた。おれは迎えに行くのだと告げた。迎えにいくことも大切だが、待つことも大切だと友達は言った。一年前のことである。待ち方もそれぞれある。迎え方もそれぞれある。おれは今、沸騰しない。書けなくなったのではないか思うことが多々あるが、書けなくなったところで、どうなるのだ。書くときは書くだろう。そう思っても幾分と書いていない。今書いているじゃないかと言われても、たしかに書いている。

とりとめもなく散らしている。おれは今書きたいだけである。暇を潰している。誘っている。心配だから書いているわけじゃない。動機がない。ただ散らしている。なるべく透明なビー玉を集めて、アスファルトへ転がす。なるべく早朝に出かけよう。虫もまだ寝てる頃合いに、露で喉を潤わせたい。朝風呂に入るような心地だ。あればいいのだが、ツユクサが。あればいいのだが、本当にあればいいのだが旅館みたいに。

神さまに才能を奪われるぞと父親が言っていた。霊媒師でも霊能者でもテレビに出て金のためにお祓いなんてしてたら、神さまが霊感を奪うんやで。当時は家計がとても苦しかった。父親は毎晩、倶利伽羅不動明王真言を捧げた。ノウマク サンマンダ バザラダン カン

真冬に八大竜王の池に入り、びたびたの半袈裟を胸に張り付かせ、雪の白さに心を奪われた。凍える天川の空で独りで、早朝。

意味も分からないサンスクリット語を唱える。数珠の感触を覚えている。マントラは切ない。ノウマク サンマンダ バザラダン カン。喘息の発作で、ひゅうひゅうと細く泣く胸に当てられた数珠。

祖母はおれの母親が死んでから後、仏心を棄てた。それから数年後にまたお参りを始めた。母方の家族体系とは疎遠になった。誰の顔すら覚えていない。母親の何周忌かの頃に始めて会った。葬式以来、行事に参加したことがなかったし、あることすら知らなかった。痴呆症の入った老婆がおれに話しかけてくる。だれかわからへんけど、でも、こないに長い間会わんかったら。ねえ。と言われても誰だか分からない。祖母と言えど知らないし、血縁者だろうが他人だった。祖父は泣いていた。車椅子に乗っていた。ごめんとありがとうを繰り返していた。昔は銀行員だったと言っていた。老人ホームにいるらしい。苗字以外分からない。湯里にいるらしい。

会いに行こうかな。おれの知らない物語を終わらせないために。あなたがどこのだれで、どこから来たのかを知るために。おれに何の血が流れているのか、一つの家系の物語が終わる。祖父のこどもは5人とも女だった。苗字が絶える。そういう伝統の矮小さと美しさは刻んでおきたい。キキちゃんも姉妹だ。別におれが姓を変えてもよい。そうすれば、時代を経巡って嫁がされてきた女と父親の気持ちが分かるような気がした。そんな時代の哀愁も死につつあるからこそ余計に増す。文明の美しさは残滓に見つかる。

母親方の家族は口々に祖母(姑)は鬼ババだと言っていた。母親がそう言っていったらしい。祖母も女としてのプライドがあったのだろう。あの人があんなにマタニティの服買いに出かけたことなんかないねんで。ばあは一個も買ってもらったことがないねんから。鬼ババが唱えるマントラもまた一興。おもしろい。

弟は泣いていた。多分、夢を見ていたのだろう。みんな、よそよそしかった。誰の何回忌なのだろう。泣いている弟の傍を痴呆症の老婆が通り過ぎた。喪服を着ていたから黒かった。真っ黒な背中を見た。角を曲がって消えた。20年間温め続けていた心象が崩れていくように弟は肩を揺らして泣いていた。後から着いた祖父はそれ以上に肩を揺らして泣いた。