今日知ったことが元々あったという事実

今日知ったことが元々あったという事実に驚愕するばかりだ。知覚とは不思議なものだ。一度知ってしまうと私の世界は再編成され、同じ景色の上に見たことのない景色が重なる。

知覚は拡がり続ける。いくら歳を重ねても世界を見ることは叶わない。わたしたちは沼に生きている。同時に世界にぼこぼこと空いた穴の幾つかでもある。穴は覗けど真っ暗で深さも何もわからない。わたしはその穴の存在を知ることができるだけで、それが何かを知る由はない。Mr.Childrenの掌は、穴があること、それだけをただ認め合えればいいじゃないかという歌だ。

ぼくが知覚を率先して推し拡げたのは、最近ではもっぱらアパレルだけだった。アパレル、身体にまとう布。布はなびくだけで美しい。布は風に形を与える。見えないが、確かに感じられるものに輪郭を与える布をわたしたちはまとっている。

人間は布にいらんことし過ぎな気もする。布は褪せ破れる朽ちる。美しい。それだけで美しい。だんだんと朽ちること。人間は布にはなれないのだろうか。

鯉のぼりを見て感じる気持ちは何なのだろう。嫉妬に近いような、そうでもないような。ふわふわと漂う、コンビニの袋に寄せる気持ちは何だろう。風にまかせる。美しい言葉だ。風のかたち。台風の前日に高まる気持ちは何なのだろう。

人間は布にはなれないのだろうか。ただ揺れているだけの存在には。あの世はレジ袋みたいなものかもしれない。生きている限り叶わないが、心地よさへ流れていけるだけの度量が人間にはあるか。