新開地に行って来た
キキちゃん69点。おれ79点。
新開地の思い出終わり。
神戸にて
ん?
これは、、ベビー用品専門店である。
メタファーなのだろうか。あまりに直接的な表現すぎて理解に苦しむ。つまり、子供の動きさながらマネキンに躍動感を与えようとした結果こうなった。
こどもの躍動にマリオネット。。なんとも風刺めいている。スコセッシ監督が一枚噛んでいるのではないか。この子が成長すれば夜の校舎の窓ガラスを壊して回るだろう。
冗談はさておき風刺であって欲しい。そんな風に見れるぼくがおかしいのだと反撃してくる人がいればこう答えるだろう。きみとは友達になれないと。ぼくは友達か通行人としか話さない。ワニワニパニックで敗北したキキちゃんでさえ、これはおかしいと言っていた。やっぱりおかしいのだ。話しても無駄なことがたくさんある。人類は分かり合えない。分かり合えなさを共有できるぬくもりしか感じあうことができない。
元町にもアメ村くらいいいところがあった。アメ村よりもいいかもしれない。デートとかしたら楽しいんじゃないか。と思ったが、そのときまさしくぼくはデート中だった。ぼくとキキちゃんのはデートというよりも冒険に近い。だからデートしてるという感覚よりもウェーイしてる。ドラゴン不在クエストである。ちなみにアメ村は特に好きなわけではない。むしろ普通であるし、むしろ嫌いなわけではない。
その日でない帰り途。稲川淳二の話をしようとしたらキキちゃんが誰それ?と言い始めた。だから、必死に物真似をした。
「ああ、やだなあ。なんだかゾクゾクするなあ。ゾクゾクするなあ。やだなあ、やだなあ。ふわあああ!
実はね」とやってみたが、やっぱり知らないらしい。
キキちゃんは動物が恐ろしくて近づけない。動物と目が合うと動けなくなる。ぼくはキキちゃんのこの状態を真理であると考えている。キキちゃんにとって動物はリアルすぎるものなのだ。なんの幻想も媒介することなく、目の前に生き物が現れる。共通の言語も持たず、ジェスチャーも理解できない、そのくせに目を持つ彼らが畏怖の対象以外の何者であろうか。まったくもって未知である。キキちゃんにせよ、遭遇された動物にせよ、互いに未知である。
ぼくはこの未知なる生物、キキちゃんと一日中いても退屈しない。ほんとうにどうでもいい稲川淳二の話をしながらゲラゲラ笑いあったりしてる。
さて新開地はほんとうにいいところである。行ってみるといい。お洒落狂いのセンターからすこしはみ出してみると、田舎の大将がどんっとおる。それが新開地。