他人のことなのにうれしい。他人だからこそ嬉しいのかもしれない。好きな人は他人でしかないのだから。占いの話をしようと思う。むかし、ちょくちょく色んな占いへ行っていた。幼いときから女と溺死が頭から離れなかった。後年になってから、犬というのも頭から離れなくなった。

最近になって確信しつつあるのだが、やっぱり女と犬はぼくの前世にいる。そして、溺死もしている。女だったらすごい運勢でしたよ、あなたは。と占い師に言われた。小さい頃から、ぼくは自分が実は女なのではないかと思うことがよくあった。大人になったら遺伝子を調べてもらおうなんて考えたりした。だからやっぱりそうだろうなと思った。

「あなたの片割れはずっと昔に死んでいる」そらそうや。いつの話や。その時は死んでいたかもしれないし、時間を鑑みても死んでいるが、人は何かしらのタイミングで何者かになる。だから今はいてるのだ。「あなたの一代前の前世はスペインの行者。二代前はインド南部の修行僧。三代前はネイティブアメリカンの首長の隣にいる人間です」隣って誰やねんと笑った。べつの占い師は言った。「本当はだれかの右腕となって最高のスキルを発揮する運気やけど、独りのほうがいいんじゃない。きみの片割れはたぶん見つからない」「きみのオーラはシルバーとコバルトブルーだ!この色を持ってる人はビジネスの世界で絶対に成功する。成功しなかった人を見たこたあないが、きみのブルーは薄れつつある。こんなに薄いコバルトブルーの人は初めてみた」勝手なことを言うもんだ。でも、ぼくは人の数だけ存在するのだからそれも事実なのだろう。事実しかない、なあ?友よ。

だから、ある人物がレヴィ=ストロースの首長を持ち出したときは興奮した。ぼくには首長の隣の人だったときの記憶はないが、まだぼくが人間でないころにそういった透明なものたちとつるんでいたことがあるらしく、それで犬だったり女だったりになったのかもしれない。

さいきんは初めて会う人でも懐かしく感じることがある。たぶん、ぼくはその人の中に眠る何者かと出会ったことがあるのだろう。はじめましてと言いながら久しぶりです、と言ってる。顔がだれかと似ているとかではないのだ。その雰囲気に見覚えがある。徐々に勘を取り戻しつつあるという感覚がある。なぜ取り戻していると感じるのかはわからない。今生ではそんな感覚なかった。いや、ずっとあったな。忘れてるだけで。

創世のアクエリオンを見てよく泣いていた。たぶん、アポロンが犬でなかったら泣くことはなかった。あれは異性愛ではあるけども、異種愛でもあった。犬ほど愛情深い生き物はいないよ。だれの心だって開く。だれにだって心をひらく。ぼくは女になった。でも、女は女でも人間の女だったから辛かったのだ。だれにでも愛嬌を振りまくと、世間はめんどくさかった。まあいいや、家に帰るとキキちゃんが飯を作ってくれていた。ブリの照り焼きだ。お母さんの手料理を思い出した。

思い出したことなど今までなかったのだが、そう言えば一番お母さんの料理の中で好きだったのはブリの照り焼きだった。