硬い翻訳。ものように並んでいる。we're unstoppable. わたしたちは止めることが不可能です。ことばの隙間にニュアンスが入っている。ニュアンスを表すことを意訳という。we're unstoppable. わたしたちはタガが外れた新幹線よ!単純に「わたしたちは」を「わたしたちを」にすればいい話だが、ニュアンスは広大で果てしなく広い。この地球にうまれたことが奇跡くらいあやふやだが確実に反復する。ズレるんだけど、そのズレが差異であり、生きるものは差異を孕み続ける。この差異を払拭しようというのが一般的な賃金労働である。

外国語を読んでいると、ことばの物質性が如実だ。マイケレン味のせいで、文章がちゃんと読めない時がある。これも文章の可能性である。俺×それ=おれ(複合体)×それ(複合体)という公式に当てはめると、暫定的なおれが、複合体であるそれを読むわけだから、毎度印象が変わる。オパールの光り方に似ている。これはニュアンスである。実際、それは石だろうと大根だろとなんでも良い。

差異の優劣について考える。主体が差異を受け入れるかどうかだけの気がする。ミハルアイヴァスの黄金時代はそこへ全力投球している。賃金労働、大きな物語に揺られていると差異は失われていく。日本のつまらない建築群のように時代性だけを反映する、時が経つまで価値のない、おもしろくないもの。凹凸のないフラットな人の痕跡すら見えない潔癖症

話が脱線した。ものをものとして見ること、ニュアンスを抜きにして見るためにものを平面に形だけを取る。魚拓のように