思い出す

夏帆ちゃんが好きすぎて、ぼくは悉く年頃の女の子の気持ちを打ち破っていった。あれはそう、中三の春の終わりか初夏、ぼくは中学校をサボって奈良公園へ遊びに行った。

学校はつまらなかった。今までにやってきたことの返り討ちとばかりに、イジメ倒されていた。友達は一人しかおらず(ジョーブログだけ)、昼休みは学校を抜け出してコンビニの前で弁当を食べた。猫が死に際を人に見られまいとする気持ちがよくわかる。情けない様を見られるのは辛いものだ。観客がいるのは辛い。あんなに活発やった子がと口々に先生は言う。受験前だからそんなに真面目になったのか?と彼らは言う。

月に一度、道徳の時間に1分間スピーチと題された公開処刑が行われる。ぼくは笑いをとる。表面的には未だ人気があった。だが苦痛である。その時のお題は英語で将来の夢を話すといった代物で、ぼくは永遠にテニスプレイヤーになりたいと、テニスをしたこともないのに言い続けて先生から顰蹙を買った。

その日はたまたま1分間スピーチがあった。学校に喘息の発作が出たと電話し、なぜか奈良へ行った。鹿でも見に行こうと思った。公園は修学旅行中の学生で溢れていた。標準語が鳴っている。ぼくも彼らと同じようにして弁当箱を開けた。警察が通る。ひやひやしながら冷たいチャーハンを白いスプーンで食う。

何かするアテもなく、立ち上がって木陰の方へ歩いた。その時だ。ぼくが夏帆ちゃんに会ったのは。こんなにキレイな女の子がこの世界にいるのだなあと思った。境遇を恨んだ。なぜぼくはこの子と幼馴染ではないのだろうかと。彼女はそよ風のようにぼくを通り過ぎてギンギンな太陽の光のなかへ。木陰の下で彼女を消えるまで眺めた。

それからしばらくして、本屋で彼女を見つける。彼女が女優だったときの悲しさと、嬉しさ。それから高校2年の初夏まで、いつか夏帆ちゃんに渡せるようにメールアドレスを書いたメモ用紙を一枚財布に忍ばせていた。気づいた時には二枚になっていた。失くしてはいけないと思ったから。高2になって彼女ができた。そのせいで夏帆ちゃんの写真集を捨てる羽目になり、夏帆という言葉は死ねと同じくらい言ってはいけない言葉になった。気づけば、そのメモ用紙もどこかへ消えてしまい、土下座しながら童貞も喪失した。彼女は処女ではなかったが不慣れだった。

夏帆はぼくの初恋であるあれほど狂おしい時代はなかった。ぼくは夏帆以外の女を見下していた。母親さえも。

夏帆ググると劣化と検索エンジンに引っかかる。分かっていないなあ。確かに中学時代の夏帆は可愛かった。でも、どの夏帆も可愛い。透明感とか清純派とか、あれこれ言われてさ、色んな夏帆がいるわけだよ。プロモーションの仕方ミスってるとかさ、だれかのために存在してるわけじゃない。たまたま純粋派のときにすれ違っただけだろう。國男だってさ、小説家じゃなくて学者になったわけだから。あの頃みたいに強烈な思いを胸に抱くことはないけれども、夏帆にあったら握手してもらう。他人の気がしないと、芸能人を見て人はよく言うが、たしかにその通りだ。他人の気がしない。応援してます。クラウドファンディングとかしないだろうけど、おれめっちゃ嫌いやけど、クラウドファンディングとかしたら握手する権利作ってください