泳ぐ

人の寿命が七万歳のときに初代仏陀は生まれたらしい。棟方志功の版画を見ていた。それよりも壁4面に展示されていた4枚の絵画、シャガール。内、1枚がとても気に入って眺めいった。絵は背丈の高いイネ科の植物が金色に輝く畑、魚が頭を覗かせてその隣にカマ。朱色。太陽が2つ絵の中央にあり、左側は黄金の畑、右側は海なのか川なのか、人間のような者が小舟を一艘浮かべている。青色。絵はとても大きくて、畑の中にいるような気になった。魚の頭はその畑、土地に生まれたような雰囲気で、到底海とか川の生き物では無さそうなのである。畑生まれ、畑育ちの魚の頭、よっぽど舟を浮かべている人間のような生き物の方が海に馴染んでいた。赤よりも朱に近い、日焼けを悦ぶような魚。そんな魚が黄金の畑を泳いでいる、カマを持って。時折顔を覗かせて、カマを覗かせて、そんな連綿とした風景のなかの一枚のように感じる。別にイネを苅るわけじゃなさそうなのである。そのカマにも土地の息を感じる。その土地のものだ。日焼けを悦び、真っ赤である。ただ泳いでいるのだろう、彼らは。魚が泳ぐのと同じように、泳いでるだけに過ぎない、カマを持って。人間のような姿の青色の男は舟であり、もう魚のようだった。私の身体にすんなりと馴染む。私もまた泳ぎ始めるとする。絵を見て止まり、溶けてまた歩く。鳥が枝に止まるのは疲れたからではないのかもしれない。ただ何となく止まり、鳴いてみる。

泳ぎ始めた。あおもり犬の前に止まる。眺める。ほんの数十秒だったかもしれないが、四日間の滞在で感じていたことが視覚化した。ほんの数十秒で一気に私は、私の青森を振り返ることができた。トリップしたのである。ああそういうことだったのか、と私は思った。あおもり犬を旅の終わりに見ることができてよかった。作品を観て感じることは十人十色だろう。わたしの場合は閉鎖的、じょっぱりが頭に浮かんで、それに疲れた青森の人の顔をあおもり犬に見たのだ。目の前にあるフードボールは首を伸ばしても届かず、身体は雪に埋まって動けないでいる。仮に届いたとしてフードボールには、食えないものばかり詰まっている。その時は花が入っていた。俯くあおもり犬の諦めたような姿を強化ガラスを一枚隔てたところで私は眺めた。誰かを待っているわけではない。救いすら求めていない。だからこそ、あの場所は誰かが入るべきなのではないかと思った。ただ引き上げるのではなく、その空間を共にする。このガラスを打ち破って侵入する。まさしく旅とはそういうものかもしれない。あおもり犬の顔に映ったのは青森の人だけではない、私の顔もあった。私は私も見ていた。元より、私が青森を通して感じていたことは私のことだったのかもしれない、もちろんそれだけではないだろうが。そんなことをたった数十秒で考えた。考えたでは遅すぎるかもしれない、竿に餌がかかる一瞬の出来事に考えるもクソもない。ピントが合っただけ。

青森県立美術館へ行く前日、三内丸山遺跡を回っていた。紀元前何千年前の、たった何千年前の人間が作ったものを見ていた。子どもの遺体を土器に入れて、その頭くらいの大きさの石を入れていたこと、天然のセメントが秋田県の海辺で採れること、土器に漆塗りがあること、魚の骨の装身具、植物のポシェット、黒曜石、鹿角製ハンマー、そして土偶、使い捨ての縄文土器。たった何千年前の出来事。

人の寿命が七万年あった。七万年であろうがなかろうが時間の急流、渦、凪のままに時を過ごす人間の姿、その寿命が短いわけではないこと。そして私はその姿に戻ることができること、時間を泳げることを知ることになった。青森の長すぎる電車の待ち時間を通して