降り合い

ぐうぐうした人がたまたま同じ仏舎利に通っていたことから、ババアはそれを神のお導きだと勘繰り、竈の神についてとうとうと語り出す。老婆心から左足を引き摺って歩く彼の姿をいたわり、飴玉を差し出した。彼は受け取り、袋を剥いて空にかざした。ようよう見れば、目玉と太陽の間に親指と人差し指で挟んだ飴玉を手前奥させ、ある瞬間にぴたっと動きをやめ、左目を閉じた。何をしているのかとババアは青年に尋ねたところ、太陽を隠しているのさ、とろくにババアの目を見ずに答え、太陽を隠すのをやめなかった。ババアの顔は始め青ざめ、ゆっくりと赤らみ、突然チアノーゼを起こしたかのように紫になった。パープルババアは片方だけ長い前歯、ともに差し歯、短い方の差し歯と下の前歯の隙間から気泡を出して青年に飴玉を返せと迫った。「さあ君次第だ、君の渡した飴玉が今僕の右眼球からアマテラスを奪っているんだ、つまり僕は、僕だけは闇に包まれている。僕だけが外側にいるんだ。君の飴玉は僕に最後のカケラを与え、僕は実行した。贈り物を与えるとはそういうことだ、ささえな飴玉さえね」

みんな勝手に生きればいい、空を飛んでいたスズメはそう思った。俺に飯をやりたければ飯をやればいいし、そうでないなら立ち去れば良い。全てそれだけの話だ。俺を食いたい?それなら話はべつ。スズメは愛おしい首をぶるぶるとふり、それなら俺は抵抗するで、クチバシで。

パープルババアは青年の目を小指で突き刺した。青年はよろめき、背中を石畳に打ち、そのせつなに青すぎる空を見た。冬だった。あまりにも青い空だった。地下鉄から地上へ上がる階段の先に青空が口を明けて待っている、いきなり視界が開ける気持ち良さと不安と開放感。ただそれはあまりにもはやく暗転した。パープルババアが青年にまたがり、顔をみちみちに接近させていたからだった。パープルババアは飴玉を青年の目に押し込んだ、笑った。片目潰れ、片目飴玉、笑った。それなら良い、それが良い。世界はそうあるべきだ。ババアはポケットからいくつか飴玉を出し袋を剥いて口に放り込んだ。放り込んだうちの3つを口から取り出し、ア目玉男の口に放り込んだ。ア目玉男の口いっぱいに甘味が広がった。俺は今、目玉を舐めているのか、ア目玉男は笑った。血が通っていく、掌の汗が発汗した途端から踊り始め、風が立てる音と重なる。血が通っていく。俺は俺の世界を見つけた

 

骨鳴

神さまは見ているらしい、三白眼。背もたれに神様がいればずいぶん楽らしい。都合のいい出来事をまとめあげて運命に仕立てる。人間の想像力、生命力は美しい。誰かに愛されたいのだろう。ガン無視をしよう。神秘的なものは美しい、奥が深い。それだけでいい。いちいち導かれたとまるで人類の中の主人公であるかのような顔をして街を歩くのはさぞ楽しかろう。楽しければ結構。それにしても人間の生命力は素晴らしい。そのような想像をせねば、歩けぬほど道は暗いらしい。

風が吹くことにも理由がいるらしい。光がさせば天照について思いを馳せるらしい。超越的なものにいっちょ噛まれたいらしい。ラッキーをラッキーで終わらせられないらしい。それでも、毎日明るく生きていられるのならいいのだろう。

道は選べる、色々と。世界をどういう脚色にするのか選べる。人の頭はそういう風にできている。人についてとやかく言うつもりもなく、現実を直視せよは非現実的すぎて耐え難い。だとすれば、何を根にして人にパンチを浴びせればいいのだろう。事実か、科学的根拠か、本当にどうしようもなくくだらない。わかることは分かり合えないことだ。どうしようもなさを共有することだ。それくらいしか、きみとわたしは分かり合えない。ただもしいけるなら、虚飾にまみれた虚飾のない拳を5000万個捏造して空から降らせてみたい。リアルかフェイクか、そんなものどちらでもいい。破壊力があればいい。人が覚えているのは殴られた感触とその時に抱いた感情だけ。一度だけ観たことのある映画で、思わず喰らってしまった映画の感想を教えてほしい。まずはじめに出てくるのは、あるワンシーンか、もしくは全体のイメージだろう。それがきみを殴った拳だ。

その拳を当てるまでに緻密な構成や飛躍が必要だったかもしれない。だからその映画は5時間必要だったのかもしれない。もしくは映画全体が一つの拳だったのかもしれない。

私は正しさを求めていない。私は不公平君だろう。息子の名前は公平にしよう、次男は平和にしよう、三男はもうなんでもいいだろう、生まれた時に思いついた名前か、もしくはカイジにしよう。私は正しさを求めない。それを正しいとは思わない。きみについて正しいとは思わない。そういう腹で世界を見たとき、この世があまりにもつまらなく感じる。だから、多分、道を踏み外している。

でも、わたしはそれでいいと思った。今更ではなく、そのような見方で矛盾した怒りを抱え、一撃を狙うような素直さ。美しいと思える心よりもつまらないと思える心の方がより腰が入る。それでいいと思う。だから私は自分の選んだ道に立っている。

 

 

 

 

 

半開き

怒りで目が覚めてブログを読み返す。暗すぎてびっくりする。存在すら忘れていたがあまりにも暗い。こんなに暗い人間も珍しく、こんなに伝えたいことがない文章も珍しい。最後の更新は一年前だった。おそらく、家を引っ越して以来書いていない。

引越ししてから職が変わった。異常な生活は引き続いている。私は普通に憧れるが、普通にはなれない。それに対して劣等感を抱くこともないし、車に乗れないこと、どんな仕事もおもしろくないこと、生きてて楽しくないことに対しても慣れたせいか、絶望すらしない。ずっと絶望していたが、絶望すらしない。絶望という概念自体が消滅した気がする。そもそも絶望するほどこの世界には希望などない。十代からよく耳にしてきたその手の言葉を理解した。怒りすら邪魔をするな程度の怒りしかないので、昔のような灼熱パンチは出せない。

諦めたというよりも期待していない。期待がないし、求めていない。ここに余白があることだけは明記しておこう。余白はある。ただそれは二項対立の中にあるグラデーションのようなものではない。希望や絶望を対に揺れ動くようなものではない。余白がある。モノの見方はもう変わらないだろうから、燃え上がるような目で世界を見ることもないが、白い目で世界を見ることもない。

凹凸のない表面を見ている。平面に対していちいち潜ることなどしない、それは俺にとって固有名詞ではない。俺にとっての固有名詞たちへは深く潜ろう。いちいち河原の石を拾って集めない、その輝きなど認めない。いちいち異なる色味であっても気にならない。河原の石でしかない石にいちいち名前をつけて回らない。希望をいちいち集める絶望してる奴らの味方になどならない。お前たちに出来ることは勝手に死んで勝手に生きること。救おうとは驕りだろう、救える者以外は救えない。手は差し伸べないし、差し伸べられない。

 

 

 

 

泣き虫エリオット

 

リヴァプールのエリオットが私の部屋の片隅で震えている。私は訳を訊く。たぶん、英語を話していたと記憶している。エリオットが家へ来る前、地元の知人たちからメッセージを受けた。「エリオット指名手配かけてるから、アイツから連絡あったら教えて」との内容だった。エリオットはリヴァプールのユニフォーム姿のまま、震えながら涙を浮かべている。私はそっとエリオットの肩を抱き、匿うべきか否かを考えていた。事情から考察するにエリオットは何も悪くないのだ。私は正義と保身の間で揺れていた。仮にエリオットを守り、そのことがバレてしまえば、今度は私が指名手配を食らうことになる。私は穏やかな生活を手放したくないのだ。しかし、私が私のためだけにエリオットを裏切ってしまったら、エリオットの心に深い傷を、未来まで遺恨を残すことになる。未だ若いエリオットを傷つけないことは私の正義であり、正しい未来だった。私は決心した。私は私の身もエリオットの身も守ることを決意し、エリオットに尋ねた。エリオットはゆっくりとこう言った。「試合に出たい」私はエリオットを抱きしめ「あかん、絶対バレる。バレたら終わる。今は我慢して欲しいねん」エリオットの涙袋は決壊し、ポロンポロンと涙がこぼれた。そして頷いた。私はエリオットの熱さが私の保身を終わらせるのではないかと気が気でなくなり、強く強く抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

しみったれた部屋

 

最後の最後までしみったれた部屋だった。この部屋へ帰りたくなさすぎて、大阪にいながらホテルへ泊まったこともある。部屋が狭いので横になること以外とれる姿勢がない。タバコを吸うスペースは風呂場くらいのものだが、それでも風呂場で吸うのは寒いし、座れないから扉を少し開けて、その前に座り、腕だけを風呂場へ差し込み前屈みになってタバコを吸う。この姿勢の情けなさ、扉の隙間から部屋へ侵入してくるタバコの煙が8年間ストレスだった。ゆっくりタバコも吸えない。この部屋でタバコを吸ってうまいと思ったことは1度たりともない。

この部屋には気の休まる場所もお気に入りの場所も一つもない。労働のための蛸壺部屋のようなものだ。服は半分くらい捨てたが、やはりまだまだある。住まいを新たにしても、この圧迫感とやり合わなくてはいけないと思うと死にたいような気がする。それでも今の暮らしよりはよっぽどマシだろう。8年間苦痛以外の何をも、齎さなかったしみったれた部屋。憎い部屋。実家の一人部屋の方がよっぽど広かった気がするが、そうかと頷く。この部屋は実家の一人部屋のときの居心地の悪さを引き継いでいるような気さえする。家としての機能を果たしていないのだ。

一週間を経たずして、この部屋とはさようならだ。清々しい思いと引越しの煩わしさ。そんな渦中にコロナでバアアン。この部屋に監禁される羽目となった。8年間こんなに多くの時間をこの部屋で過ごしたことはなかった。圧倒的な苦痛だった。このクラスの苦痛はそうそうない。拷問だった。生々しく詳細に書きたいが、精神も肉体も今は脆弱であるから、負けてしまうから何も書かないでおこう。書くことそれ自体が体験だからだ。ただおれは夢から覚め幾度となく殺してくれと呟いた。

だから、退去の週に差し掛かる頃合いに、コロナとは本当に悪い冗談というか、惨たらしいというか、運命を呪うような気持ちだった。部屋の呪いだと言いたいが、私の中に過ったものは清算だった。そして、清算と書いたところでおれはブチっとくる。なぜだ?なぜ償わなければならないのか。償うべきはお前たちではないのか。おれはただべらぼうに働き、このしみたったれた部屋で寝て起きて働いた。何を粛清される必要があるのか。俺は知っている、お前たちには貸し借りという概念はなく、ただ一方的に奪うことと与えることしか知らない。それもそうだ、お前たちの恩恵であったりその逆のことを含めて我々は運と呼ぶのだ。アホらしい、何をキレているのか

 

 

 

 

 

 

 

 

無心で食らうひとたち

 

無心で牛丼をかっ食らう姿が目につく、住宅街の吉野家。この辺は単身赴任者ではなくファミリー層が多いから、おそらく「ほな、外で飯食うて帰るわ」とサラリーマンたちが仕事の終わり、腹を満たすためだけに立ち寄っている。身内がいようが挨拶を交わさないだろう、それが暗黙の了解だと思えるほどに丼から顔を離さない。私はその光景が好きで、私はまるで遊び人のような、仕事終わりでも、それとは見えないような姿をしているが、彼らと同じように一日を働き貫いているし、肩を並べる権利がある。そのことが誇らしく思えるような殺伐とした空間、疲れすぎて痴話喧嘩すら起こらないだろうことは容易に想像がつくような空間。このようか吹き溜まりはとても居心地が良く、私も利用する。私は人の話し声があまり好きではない。お前たちの情報はほんとうにどうでもよく、特に大学生同士の会話は関係が透けて見えるし、虚栄に溢れている。高校生まではくすんでも未だキラキラしていただろうに、犬の涎のように。

 

 

鳴き声

 

何かしらが鳴いている声が聞こえて用水路へ屈みこんだ。ライトでぐるっと照らすも、何もいない。風も吹いていないのに草がそよいでいるだけだった。用水路を満たすほど、さきほどの雨は降らなかったらしい。急に雷を伴って雨粒が天井を叩いたのは19時ごろだった。それから1時間も経たずに雨は止み、黒光りしているアスファルトを見て思い出すほどに雨を忘れていた。

聞いたこともない声で鳴いている。灯りを照らせば声がやむ。お前はお呼びでないと言われているような気がする。私にはその声が苦しそうに聞こえたから、まあ何かアレであれば救ってやろうと思ったが、どうやら本人は同種を呼んでいる様子だった。

猫ではない、蛙でもない、カエルも七色声があるが都会の用水路に潜むものなんて種が知れている。鳥のような気がする。水路の上の部分、云々はコンクリで舗装されていて、鈍臭い奴が落ちたことがあるのか、はたまた生活の都合かは知らないがよくある用水路のステップだった。その程度のルーメンでは俺を照らせないぜ?というほど、日のあるうちはそんなに長くは感じないのだが、私のルーメンでは俺の奥を伺い知ることはできなかった。

虫は、カエルは、鳥は、猫は、なぜ鳴くのか。誰かを呼んでいるからだ。声はいつでも誰かを招いているのである。そして、その声に振り向く者は決して本人が意図する者ではない。それを承知で声を上げている、かの生き物たちに倣えばSNSのポスティングも声である。声は常に特定の相手を目指すが届く者は必ずしも届けたい者ではないだろう。光を向ければ沈黙し、闇に戻ればまた鳴き始める声は、たとえ私が何ルーメンだろうと照らせない。たとえば、私が発声源を見つけたとして、その声は聞こえるだけできっと意味が意図がわかるはずもない、それが人であっても。