しみったれた部屋

 

最後の最後までしみったれた部屋だった。この部屋へ帰りたくなさすぎて、大阪にいながらホテルへ泊まったこともある。部屋が狭いので横になること以外とれる姿勢がない。タバコを吸うスペースは風呂場くらいのものだが、それでも風呂場で吸うのは寒いし、座れないから扉を少し開けて、その前に座り、腕だけを風呂場へ差し込み前屈みになってタバコを吸う。この姿勢の情けなさ、扉の隙間から部屋へ侵入してくるタバコの煙が8年間ストレスだった。ゆっくりタバコも吸えない。この部屋でタバコを吸ってうまいと思ったことは1度たりともない。

この部屋には気の休まる場所もお気に入りの場所も一つもない。労働のための蛸壺部屋のようなものだ。服は半分くらい捨てたが、やはりまだまだある。住まいを新たにしても、この圧迫感とやり合わなくてはいけないと思うと死にたいような気がする。それでも今の暮らしよりはよっぽどマシだろう。8年間苦痛以外の何をも、齎さなかったしみったれた部屋。憎い部屋。実家の一人部屋の方がよっぽど広かった気がするが、そうかと頷く。この部屋は実家の一人部屋のときの居心地の悪さを引き継いでいるような気さえする。家としての機能を果たしていないのだ。

一週間を経たずして、この部屋とはさようならだ。清々しい思いと引越しの煩わしさ。そんな渦中にコロナでバアアン。この部屋に監禁される羽目となった。8年間こんなに多くの時間をこの部屋で過ごしたことはなかった。圧倒的な苦痛だった。このクラスの苦痛はそうそうない。拷問だった。生々しく詳細に書きたいが、精神も肉体も今は脆弱であるから、負けてしまうから何も書かないでおこう。書くことそれ自体が体験だからだ。ただおれは夢から覚め幾度となく殺してくれと呟いた。

だから、退去の週に差し掛かる頃合いに、コロナとは本当に悪い冗談というか、惨たらしいというか、運命を呪うような気持ちだった。部屋の呪いだと言いたいが、私の中に過ったものは清算だった。そして、清算と書いたところでおれはブチっとくる。なぜだ?なぜ償わなければならないのか。償うべきはお前たちではないのか。おれはただべらぼうに働き、このしみたったれた部屋で寝て起きて働いた。何を粛清される必要があるのか。俺は知っている、お前たちには貸し借りという概念はなく、ただ一方的に奪うことと与えることしか知らない。それもそうだ、お前たちの恩恵であったりその逆のことを含めて我々は運と呼ぶのだ。アホらしい、何をキレているのか