踊る暇があったら発明してる奴の言うことは信じない

 

これもどうせ退屈凌ぎだろう。人間は退屈凌ぎに悩むのだ。実際、悩むことなど人生にざっと数度しかないだろう。ほとんどが退屈凌ぎだ、おれの場合は。また今日もトムヨークより憂鬱な気分でカードコバーンみたいな内向性を持ってペニスをしごきあげるのだろう。おれのペニスは狂ってる、お前も狂っている、まともなふりしやがってこのカスが。

怒りによる蒸発で感情の蓋をとってみる。私は小学生の頃から疲れ切った野良犬のような気持ちだったような気持ちがする。(ふざけろ!と言って怒る奴がいるらしい、そんな奴は本当に存在するんだろうか)

俺は退屈している。すごく忙しい日々を送っているが退屈で死にそうであり、ほぼ死んでいると言ってもいい。夢も見ない、なぜなら死んでいるからだ。形而上学的に、形而上学的に死んでいる。つまりは生きてるのである。

思うねんけど、人に影響を与えるってまじで無意味に近いな。ほぼ雑魚やん、雑魚に擦られて俺が消耗することなんかないけど、こんなどうしようもないクソどもに向けて投げかける行動自体が最近はハテナねん、ハテナブログだけにな、うまいこと言うやん!うまくないやろ殺すぞ。展示とかね、何しにするのかちょっと分からないですね。考えてくれや、アスリートがファンキーモンキー何とかの曲を聴いて試合に挑んで結果出して、俺からしたら聴くだけで鳥肌立つのになんでやねんってなるやん。ならん?クソみたいな音楽はこの世にないんじゃないかなあって思うと地盤が割れていく気がして、そのまま俺はどこまでこの世の恣意性へ落下していく。

適材適所、あなたが救えない人間もこの世にいる。あなたが救える人間もこの世にいる。当たり前の話である。でも、納得したくないね。あなたたちを自殺から救ってくれた音楽でも俺は嫌い。あなたたちの結婚式に流れた音楽でも俺は嫌い。俺は嫌い、なぜなら嫌いだからだ。そのような音楽で幸せになれるお前らも嫌い。なぜなら嫌いだからだ。

話が脱線してしまった。フロイトの例で行けば、俺はクソ(ギフト)を我慢する赤ん坊みたいな心境や。クソみたいな音楽でピエついてる奴、クソみたいな映画でピエついてる奴らは無視して圧倒的未来へ放っていこうと奮い立たせようとするけど、独りで踊っているような気がするのだ、正気のままずっと。感情は劣化していく、俺は酔っぱらわない、いつも素面である。誰か俺と踊ってくれないかと呟きたくなる。承認欲求、自己のエコロジーの問題で俺は独りで踊り続けなくてはならないのだから、別に独りでもどれだけ愚痴を溢そうが踊る運命である。踊る暇があったら発明してる奴らに言いたい、俺の踊り自体が発明であるから、俺は踊りながら発明しているわけだ、お前たちの上位存在である。

はっ、はっ、はっ、はっ、笑い声ではない。腹からの声である、俺様の。ハッ、ハッ、ハッ、これは喘ぎ声である、男の。たまに俺の影響を受けたという俺よりヤングな人たちに遭遇することがある、とは言え、たった3回やけど。この1年の話やからまあたまに言うてもええやろ。言うたらあかんのかい?言うたらあかんのかい言うてんねんいてこますぞこのドインポテンツが。

その話を聞いて、そいつらの話を聞いて絶望する。空笑する余白なく鼻柱を柱にして鬼が浮かんでくる。この鬼は何者だろう、尊大な自尊心だ。人間離れした、人間特有の腐った自尊心だ。しみったれてない、清く腐った自尊心だ、NTRでいきり勃った中の上くらいの大きさの俺のペニスだ。