紫陽花のたばこ

 

 

怒りへの賛同

-便乗して怒ることへの疾しさのない、まるでそれが自己発生した雷のごとく鳴り響かせる者もある。私の怒りは私のものであり、あなたの怒りはあなたのものだ。重なっても風雨すら立たない-

 

森道から戻って数日経ち、身体もようやっと平衡を取り戻した。身に染みた暮らしへ戻るさなか、いささか不気味な影を感じつつ季節は梅雨入りした。今年の梅雨は例年より早いらしく、体感としてもそれは理解できた。日本語話者歴三十二年、5月の梅雨入りは何年ぶりだろう。今年の夏は長いだろうと口々に人々は手軽に口にした。軽やかにトイレットペーパーを回転させ手に巻きつける。カタカタカと心地よいいいリズム。

 

また当たり前のように眠るだろう。あじさいのたばこ。死んでしまってしばらく経つが、まだ墓にもいってないお前が金のない頃、紫陽花を刻んで吸ってたね。なぜ紫陽花なのか、訊くこともなかったけど。あれだけどうでもよかったものが思い出すほど遠くへ離れて行く。多くの過去は戻れるのに、お前のあじさいは沈んでいく。沈めば沈むほどかけがえのないようなふりをして俺の前に姿を現す。しみったれた、湿った、記憶を燃やすバーン。俺は眠たいのだと思う、今日願ったことの半分は叶わなかったが、叶った半分のおかげでその3倍やることが増えた。やるべきか、どこまでを?