Live forever

温風至。熊本へ赴いて少し心待ちが変わった気がする。私は諦めていた。本当は歩きたかったのだと思った。歩くのも汗をかくのも、人に見られるのも、人を見るのも、街を見るのも嫌だった。私には四季がなく、四季を手放した。街がそうしたように、私もそうしたのかもしれない。でも、身体はずっと季節を求めていた気がする。風に吹かれたときに感じる懐かしさで涙をすることが何度もあった。

私は諦めていた。季節と共にあることを。ゲームのように四季を選べれば、どんなにファッションが自分本位になって楽しいだろうかと考えることもあった。でも、そこには絶えず虚しさがあった。空っぽである自分を自分で満たせるわけがない。そんなときに吹く風にばやっぱり泣かされるのである。

音楽を聴くと泣けてくる。なぜ泣いているのか、それを問えば明確で生きることを放棄したから泣いていた。悔し涙だ。諦めていたが、諦めてなかった、そのうちにそのような気持ちには蓋がされ、なぜ泣いているのかさえ分からなくなっていた。

心が蝕まれているなと思っていた。身体はもう仕事へ行くことすら嫌がっていた。希死念慮を振り解こうと躍起になって眠る夜、偏頭痛の鈍痛で後頭部がじりじりと焼けるような朝、耄碌してる頭にタバコをぶち込んで身体を起こす。自分は死にたくなる体質で、すぐに気分が変わるよく分からない生き物だと思い込んでいたが、心のどこかで静かに優しい湖の水面のような自分の姿が離れなかった。

ただ普通に生きたいのだと願う。普通にとは何か?と人は問う。生きたいのだと私は言う。ただ健やかに不健全な欲望を育てながら、十全に生きたい。そんな当たり前のことを、当たり前にできない世界が狂っている。書きながら泣いている。この涙は多分、悔しいのだろう。なぜいちいち苦しまないといけないのか。喧嘩などいちいちしたくはない、いちいち怒りに駆られて文言を叩き上げたくはない。いちいち唾を吐きたくない。いちいち怒りたくない。いちいち間違えていると言いたくない。いちいちそれはおかしいと言いたくない。いちいち社会を批判したくはない。いちいち、いちいち、生きたいと言いたくはなく、いちいち死にたいと呟きたくもなく、いちいち説明したくない。

私は歩けなかった。諦めを噛み締めたくはなかった。詩は環境音楽だ。私のなかに流れるものは、環境でいくらでも笑い、いくらでも悲しみ、いくらでも死を望む。私はどこにいても私だと、私は私のままキチガイの死にたがりで、どこにいてもこの狂った感覚のまま一人ひとりでもがくのだと本気で思っていた。でも、きっとそうではない。

熊本で何時間も歩いた。透き通った、なんでそんなに透き通っているのかわからない江津湖とその近くの川を。膝下まで湖につかって、オアシスを聴きながら。そして、何度も『Live Forever』が流れた。

Maybe I just wanna fly

Wanna live, I don’t wanna die

Maybe I just wanna breathe

Maybe I just don’t believe

Maybe you’re the same as me

We see things they’ll never see

You and I are gonna live forever

たぶん、ぶっ飛びたいだけなんだ

生きていたいだけで、死にたくなんかない

息をしたりとか、ただ信じたくないだけかもな

たぶん、お前もおれと同じだろ?

あいつらが見たことないモンをおれたちは見てるんだ

おれとおまえは、永遠に生きてやろうぜ

ノエル「おれたちのジョンレノンになってもおかしくなかったんだ。死ぬほど才能を持ってる、おれが欲しかった才能を全部持ってる奴が死にてえ、死にてえ、なんて言ってやがる。ファック!ファック!ふざけんな!だから俺は永遠に生きてやるって」