論理的

論理的。ロジカル。20歳の始めは、とても論理的な人間だと思っていた。18歳の頃は、どうすれば相撲取りに勝てるか考えていた。19歳の頃は、明石家さんまに勝てると思っていた。

論理に混じった私の飛躍に人は引っ繰り返った。この飛躍を短絡とし、十全たるこの涙を靖国で流したのは、ちっとも十全ではなかった。極みへ向かうほど、澄んだ気になる。イデオロギーの侵犯、涙はちっとも心理めかず、それが仕組みであると知ったのはいつからか。

涙ほどの芝居屋はいない。適した環境の下で十全に育まれた人間は泣けと言う記号に流される。それについて知ったのは、恐らく恋空という映画を観た頃ではなかったか。

人が死んで泣いた。思い出もない人間だ。それがこの上なく悲しいのは、祖母が死んだ人間の喉仏を箸で摘みながら泣いていたからか。私が母親を思って涙したのは、ありもしない未来があり得た頃を思い出すからか。まあいい。普通なら食らってやる雑言だが、好き勝手に話すことを赦してやる。意味も分からずに、許すを赦すになおしたお前の言うことに耳を貸す義理はない。言葉は上滑っていけ。ありもしない。あり得ないことへ包囲網を張って根こそぎ魚のようにピチピチ跳ねている、お前の哀愁を丸ごと掬ってやる。掬い、神か。神に祈るのか。再び口を開ければ、またお前は無力なお前は祈ればいいと呟く声を聞いて、お前とお前とお前たちはまた嘲る。なに不自由のない楽しい空の身体でお前やお前の声はエコーして喧しいことをするなら、おれはおれで裏庭へ行こう。お前らを引き連れて、ペニスに根を張った性欲も引き連れて、千切れないほど身体に食い込んだルーティン、腐った愛撫ごと、いや、それすら叶わないなら引き摺ってでも裏庭へ行こう。ウサギと一緒に。識盲のおまえと。逃げる、逃すな、捕まえて牢屋へ投げて、甘だるい酒の中で発酵するんだ、共に。いや、それよりも外へ出て空気を吸わせてくれ。5月の夜はあんなに昼間は暖かいのに、ほらリネンすら痣になる。そのうちに話すことすらなくなる。押し黙るほかないほど、まるでフィットネスの後の冷たい身体のようなら温もりへ帰ろうとする。足はやはり張っている。足の裏をほぐしたい。風呂へ浸かって黙って、それでもその時には、何かを思い出しているのだろうか。