呪いのMade in USA

「いいな」と思った古着を買おうかどうか悩む。そのような躊躇いを雷のように霧散させる記号がある。『実はMade in USA』送料無料よりもパンチ力がある。消費者は押しを待っている。誕生日とかけてみたりして、服と自分との縁を繋いでみたり、まるで魔術師や占い師めいている。『実は○○なんです』という決め文句に引っかかてしまう心理は、そことのギャップや安心感だろう。記号がもたらすギャップや安心感。ギャップはメタ的な視点から生まれ、安心感は記号への隷属から生まれる。どちらも記号を認識しているという点では、同じ穴の狢だが、前者の方には可能性を感じる。

どんどんと洋服への視点はメタ化していき、服作りもメタ化していく。まず知っていることが前提条件。だからこその『あえてこう着る』が当たり前になる。知っていることを小出しにしなければ、伝わらないことの方が多い。ただそんな営みのなかで素人のように振る舞ってファッションを脱構築する人もいる。傍から見れば、派手な奇行趣味のある人に見えたり、いわゆるファッションと無縁の人のように見える。ただ目を凝らしてみると、ラディカルなことがわかる。

少し前からホームレス、年寄りのスタイリングをインスタグラム上でよく目にするようになった。彼らに好みこそあれど、服の文脈には無頓着で興味はないだろう。凄まじく生で新しく、去勢されず、あらゆるドレスコードは無視されるためにあるんじゃないかとさえ思わせる。爆発的なピュシスである。ピュシスとは自然とかありのままとかをカッコよく一言で言いたい時に使えます。ギリシャ語です。この時点でかっこいい。で、その対義語としてテクネーが、要するに技術がある。

テクネーに関しては、個人的にはピュシスの対義語だとは思っていない。さきのファッションに無頓着な人たちをピュシスと呼んだが、もちろんテクネーなきピュシスはなく、ピュシスなきテクネーもないと思っている。二つはセットだ。だが、あえて目の粗いザルにかけて、あくまでファッションというザルにかけてみると、彼らはピュシスであり、『あえて』はテクネーだろう。

『あえて』これもかっこよく呼ばせて頂く。『再帰的』。再帰的にかっこよくなってしまったもの、メタ化しちゃったものを、言うならネタとして始まったこと、がそのまま受け入れられちゃう市場に対して中指を立てることはラディカルだ。だが、その反面、そのまま受け入れちゃった、元ネタを知らない人たちが、別の展開へ引っ張り出す可能性もある。それもまたラディカルだ。

未来というのがある。元ネタといえど、それの元元ネタがあり、それの元元元ネタがあり、起源というのは織物だからどこまでも遡っていくことができる。起源は不確かだ。でも、それ以上に未来は不確かだ。起源は遡ろうと思えば、幾らでも遡れる(だいたいの折り合い、見当はつくが)。未来において何がラディカルかというのはいつまでも分からない。今から100年前は、1920年。今から100年後は、2120年。分かるはずがない。

未来へも過去へも求めず、ただ今を表す、今でしかない、なんならその瞬間でしかないスタイルを此性と呼ぶ。買ったものをすぐに着る、今でしかない瞬間、それでしか有り得ないスタイル。此性とは生だ。狙ってできることはない。でも、此性って概念は常にあるしどれにでもあるので、ラディカルかどうかはケースバイケース。

ちょっともう疲れてきた。すっごい、はしょるけど記号の創造ってすげえラディカルで此性だよねという話をしたかったんやけど、もういいや。疲れてしまった。