涎鳥

ある時に居酒屋で友人と飯を食っていた。未だ若い頃だ。「あの女はヤレるで、エロいから」眉毛が鉤十字みたいな友人はそう言ってブラックバスみたいな口で、焼き鳥を頬張っている。串から一塊ずつ抜いてパクパクというか、ホクホクというか、唇を縦に開いてパタパタと耳を羽ばたかせている。わたしを見つめる黒目がちな瞳は地底人のようで、この世の生き物とは思えなかった。彼はカラオケでセックスしたことを自慢するようなタイプの魚でやたらと自分のテクニック、経験人数を誇示しようとする。彼とセックスした女からの評判は悪く、「爪が痛いねんけど、痛いって言われへんやん?だから身体で無理ってするねんけど、アイツはそれを感じてると思っちゃうタイプでめっちゃ爪立ててくんねん。爆笑」彼は可哀想だ。哀れだ。でも、この女は彼と何度も身体を重ねていたし、この女は身体を通じてこの魚を好きになっていたことも知っている。最終的に言い寄ったのは彼女の方だったというのを幾人からも耳にした。実際、言ってることとやってることは違うし、女が襲われたとか、性欲発散したかったとかカッコつけたりしても二人の関係は2人のみぞ知り得て、互いの感情は互いに知り得ず、甘い時間や苦い時間について、そこからもっと遠い人間が分かるわけもない。例えに例えを出すのは恐縮だけど、プレイボーイの男と彼氏持ちのヤリマンの女それぞれ言ってることが違う。男は女を食ったと仕切りに言うが、女は男は奥手の照れ屋で何もしてこなかった(唇を耳につけることで精一杯)と言う。事実は知らない。でも、その場合それぞれ正しいことにする。どちらが拒否ろうと二人は瞬間的にでも恋に落ちたのだろう。

で、この人間の形をしたハイブリッドアニマルは私に女を紹介した。地域でとびきり頭が悪い学校の女。金髪のプリンで未だにルーズソックスを履いてるような女。プリクラにはネオンのフォントを使ってキラキラさせる女。でも、とびきり優しいヤンキータイプで好きな音楽はEXILE。まだ若かった私はずっとニルヴァーナを聴け、商業音楽はクソくらえ、聴いてるお前も糞じゃと罵ったが、やはりとびきり優しい女なので笑って許してくれた。でも、その笑いすら気に食わない。全身針で覆われたような私は触れられると傷ついた。その針が余計に自分の身体に刺さるからだ。

私はこの魚野郎が好きでも嫌いでもなかったが、多分、好きだったのだろうと今は思う。こいつはすごい優しかった。なけなしの金で買ったコロッケを半分に割って私にくれるくらい優しい奴だった。思い返せば、私の周りには優しい人しかいなかった。女の親友とガチで喧嘩したことがある。

「あんたはいつも文句ばっかり言うて何もやろうとせえへんやん。あんたがゴミやねん。いつも口だけ」「お前が俺の何を知ってんねん。他人のくせに知った風な口聞いてんちゃうぞボケが。気軽にコメントしてくんなや」「あんた、最低やな。私とあんたはずっと友達やんか。私はあんたのこと知ってんで。他人なんか言わんといて」とmixiの日記のコメント欄でバトった。彼女のことはよく知っているから、多分泣きながらコメントしていたに違いない。(おもしろいことに私の女であるキキちゃんは彼女のことをライバル視している。ほんとうにキキちゃんは可愛い。いや、ラブい彼女だ。大好き)

高校生、大学生の頃を思い返すと顔が赤らんで独り言がでてしまう。恥に塗れた十代だった。恥やエモさでいっぱいで嗚咽が出るくらいよく泣いた。親が厳しかった。家は裕福だから別に何も不自由はしなかった。門限をひた隠しにした高一。親は蛸の足のように私の過去に絡みつく。あの居心地の悪さはきっと父方の祖母譲りなのだろう。抱きしめれば、抱き締めるほど私の針は深く互いに刺さり、貫き、私は心を開かない子だと言われていたらしい。ニュージーランドから帰ったあと、シャブ中だと間違われたのも穴の開いた関係に麻薬という魔法の言葉がすっぽりとはまったからだろう。でも、穴なんかじゃない。違いだ。人間と人間との。私たちの間には透明な膜が張ってある。私にはそれが見えたからこそ、もがいた。周りのやつは実在しない幻想に涎を垂れしていた。私が未だ涎のなかに七色の生を見つけようとしなかったときの話だ。