足首川


気がついたら10キロ漕いでいた。昼下がりに実技が終わったので宛てもなく自転車に乗っていた。距離も距離だったので国道を逸れた。

白く濁った中筋川にかかるタツノコ橋を渡るとエノという村につきあたった。しばらく進むと底の石どもがありありと見える川が現れた。

中筋川の支流か、その川上に伝う道路を川下から駆けた。途中、倒木してる箇所があったので自転車を止めた。それと同時に国道を爆走しながら聞いていた音楽も止めた。

道すがら杉が何本も倒れていた。川の中に杉が生えていた。もやの中に木漏れ日がさして、粒子みたいに小さな胞子が空から降っている。舞っている。懐かしい気持ちがする。

道は途中から獣道になった。イガイガの栗が地面に転がってるのを見てからしばらくたっていた。

川辺の道は消え、車が一台やっと通れる道はもはや落石、枝木、根っこを天に捧げる樹木、それらにまみれた苔、名も知らぬ植物たちの黄金時代を迎えていた。朽ちた木には名も知らぬキノコたちが群生し、エンヂンのようにたくましく轟々となる川は、音よりもやわらかい水温でぼくを迎えた。川は浅かった。足首か、深くてふくらはぎ程度の水深で、その明度はとんでもなくクリアだった。

川底で真っ赤なオーセンティック(靴)がやらしく光った。自分の足なのかどうか分からぬほど艶やかに見えた。河童の足はこんな感じなのだろうか。川の水で足を洗う。手を染める、足を洗う。人間の手は汚れる。足は土地に馴染む。

いくつか、人工の滝のようなものを超えた。旅は家に帰らなくてはいけないだろう。それが信じられない。山も登ったら降りないといけないだろう。そうでもしないと死んでしまうのだろう。

以前の滝よりも大きな滝が見えた。超えられそうになかった。川はもっと深く、先は倒木に満ちて、踵を返した。

浅い川。どこまでも、死んだように静かな川。川面に折れた杉か、斬られた杉かが顔だけを浮かべて空を見上げていた。死んだように静止した川。生死が川を下っていく。ぼくが進むぶんだけの波紋。それが円を描いて消えていく。あの空から放たれていたものは本当に胞子だったのか。あれがマイナスイオンの空を流れたとき、ぼくの心から何かが零れた。

あれは本当は、なんだったのだろうか。蝉の小便にも見えたが、蝉はほとんど死に絶えている。

もうすぐ秋が来る。サルも山から降りてくる。狸やイタチは道端で轢かれてる。「ああ、猿に会わんかったか、縄張り荒らしたらあいつら怖いからのう。ボス猿がおるけん」ハハハハハ。

オーセンティックの赤い靴は乾いて汚れている。未だにしぶとい木屑が付いている。ぼくは白い枝木を二本ちょいと拾って頭につけた。鹿のマネをした。底知れぬものが湧きそうだった。誰か俺を撮ってくれ。と思った。枝木をグラミチのハーフパンツに挿した。悲しかった。手放したのは惜しかった。でも、一体この街のどこで鹿になる必要があるのだろう。何者かになる必要があるならば、写真なんて生まれないだろう。

皮肉でも何でもなくて、眼球カメラとメモに書いた。