海はあおく、空もあおく

‪久しぶりに自宅へ帰ると自分の部屋が大きく感じた。家の裏には昔ながらの中華そば‬屋、もんじゃ焼き屋、ひとけの少ない何かしらの食べ物屋さんがあった。入り口から店を覗くと、あいだみつおの詩が貼ってあったので入るのを辞めた。 裏の店でチャーハンを頬張ったあと、また隣の店でチャーハンを食べようと弟に言うと、チャーハンよりもんじゃがいいと言う。しばらく歩いた。お兄ちゃん、そのラーメンどうしたん?ぼくは歩きながらラーメンを食べていた。このラーメンはいつから食べているのだろうか。 勝手にとってきたラーメンちゃうか。ぼくもそんな気がしてきた。ラーメンを啜りながら元来た道を戻る。箸をつけていたので一滴残らずスープを飲み干す。底に店名が書いてあったが、どの店のものなのかわからないので椀を植木の側に並べた。

家の裏にこんなところがあるとは知らなかった。惜しいことをしたなあ、もしも小さい頃からここに通っていれば今頃は親戚のように店の人と仲良くなっていて居場所も出来てたのになあ、と思いながら今度はキキちゃんと食べに来ようと考えていた。実家の二階から飛び降りれば、中華料理屋の外席に座ることができるくらい距離が近かったのだ。家に帰ったぼくは自分の部屋に戻った。窓からPLの塔の子供が見える。なぜか太陽の塔のことばかり考えていた。家の裏には知らない屋台があって、部屋から見える景色はアホみたいに忘れている。損をしたような気持ちと嬉しいような気持ち。窓から顔を出すとそよ風が吹いている。なんか夏の匂いがする。祭り気分で浮かれた人間たちが歩いている。ああアレの日なのか、とぼくは思った。 エスカレーターに乗って家を出た。懐かしさに溢れたアポロビルの敷地を通り抜け、天王寺から西成へと続く坂をゆったりと降り、住吉の方へ歩いた。どうやらぼくは一人暮らししている家へ帰ろうとしているらしい。坂下千里のことを考えていた。いつもと違う道に出くわした。というよりも、トニーラマのブーツを履いていたので、視野がいつもとは異なって見えているのかもしれない。いつもとは違う国道26号線をぼくは眺め、ノスタルジックな思いでびっくりドンキのある交差点まで歩いた。 小雨が降ってきた。インタビュアーがそっちへ行くと家から離れますよと言うものだから、ハッとした。ドンキホーテはとっくに通り過ぎていたのだ。国道26号線の楽しげな雰囲気が収斂していく。空の模様まで変わりつつあるように思えた。そして、暗黒街のような夜がやってきた。 空は夜に染まった。オレンジの店の灯りがぽろぽろ灯り、賑やかな蛇の背中のような道をキキちゃんと歩いている。アトラクションパークの帰り道とは思えないほど、人情味の看板が並んでいてやわらかい声が耳に触れる。目を瞑ると、母親が実家の車庫に車を入れている様子が頭に浮かんだ。 どこかで酒でも引っ掛けようかとキキちゃんに言ってみる。そのときだ、ふと顔を上ると、ある家のバルコニーで寛いでいるぼくと、ぼくは目があった。向こうは気づいてなかった。 咄嗟にトレンチコートの襟を立て、豆腐屋みたいな惣菜屋の暖簾を潜り抜けた。商店街の裏側に回って途方もなく歩いていると、いつのまにか青い空間に着いていた。壁には赤や黄色の字で勝手にしやがれと書いてある。ああ勝手にするよ、なあとキキちゃんに言うとキキちゃんは笑った。ぼくはキキちゃんの手をグイグイと引っ張って、換気扇の裏側や店の施設の裏側を通り抜け、見覚えのある茶色の煉瓦を通り抜けた。海だ。 どうやらキキちゃんの故郷へ来たらしい。海沿いに白い家が立ち並んで空はめくるめく青く、海はめくるめく青かった。だから坂口恭平は娘にアオと名付けたのかと考えながら、砂浜を歩く。ああ幸せなひかりだ、暖かくて暖かくてたまらない。 フェニックスの下で、カミュの演劇が上演されていた。主人公がアラブ人を撃ち殺すシーンだった。主人公はこんな心地よい木漏れ日の下で気が狂ったらしい。ぼくとキキちゃんは笑いながら歩き歩きして、お城に着いた。お城の下は洞窟で、その中にアトラクションパークがあった。若い子たちが、縦横無尽に黄色い声をあげてはしゃいでいる。潮が洞窟に当たってごおおおおっと鳴ると少女たちはまたはしゃいだ。とりわけ、ぼくの妹ははしゃぎまくっていた。妹はミニーマウスのカチューシャを付けて女友達五人と騒いでいる。コーンの上に着いたオレンジのシャーベットをスプーンで突きながら、おう!お兄ちゃんと満面の笑みを浮かべて、友人たちとどこかへ‪出かけた。‬