セルフ天国

人間は分かり合えない。気の合うとは言えど、分かり合えない。 天国へ行ったって分かり合えない奴とは分かり合えない。じゃあ、天国ってまんま地獄じゃんと思った人たちが地獄を作ったのではないか。

そうだ、きっと天国は地獄に違いない。なんであんな奴らと仲良くできるもんか。天国に社交辞令がないなら、なおのこと地獄そのものじゃないか。それとも社交辞令の1つや2つあるってか。じゃあそれは天国じゃないなあ、ただの社会だ。

天国は1つになれぬ生き物が1つになる場所だ。無理な相談だ。地獄と言ってもおかしくない。もしかすると天国は土のことなのかもしれない。土の上で死ねば、身体が土になるように。それはまあ分からない。

もし仮に天国が人の数だけ存在するとすれば、どうだろう。自分の頭に描いた良き人物(実在であれなんであれ)しか出てこないから、神様だってセルフだ。なんでもセルフだ。だから天国と言うのは独りよがりの世界なのかもしれない。もしも、自分以外の人間がその場所を見るようなことがあれば、誰かにとってそこは物足りないかもしれないし、地獄かもしれない。一貫して言えるのはセルフ天国には自分以外いないということだ。

もしも「死後は想像の世界への旅となるのだから、できる限り楽しいことを想像しましょう」ってのが宗教の掲げる天国だとしたら、教祖はいい奴に違いない。

ところであの世へ旅立つ。という表現はいかがなものか。あの世でさえも終わらせてくれないのだろうか。永遠の旅ゾッとするな。永住ってのもゾッとするな。終わりは茎の断面のようにさっぱり終わって欲しいと願うとともに少しの哀しさもある。あの世飽きましたわ、そろそろ生まれ変わるか、どうせなので記憶は消しておこう。おもんないからな。輪廻を考えた人間はそんなことでも考えてたのだろうか