NZ 第1章 ブレンナム

ブレンナムでヒーコとビールを飲んでいた。ヒーコは二十歳かそこらなのに老けて見えた。夜の街はただただ冷え、ひたすらに寒かった。なのに外でビールを飲んでいた。夜の広場で仕事の愚痴を言い合った。ヒーコは一週間後にクビにされるかもしれないと笑っていた。どうやらボスの求める作業能率をヒーコは果たせていないらしかった。『だれもあいつの求めるスピードで仕事なんかできてない。まだ仕事始めて一週間も経ってないのに、あいつ頭おかしい』隣のオランダ人がうなずいたを

ヒーコとはウェリントンのゲストハウスで会った。ヒーコは12歳の頃から煙草を吸っているらしかった。豆腐が好きらしい。やたらファックと言うわりに几帳面で優しかった。

「thanks 」と言われれば「no worries」と返してまうのは、ヒーコの影響だろう。

冬の野良仕事を探すことほど大変なことはいだろう。真冬にニュージーランドへ来たことを幾度も後悔した。まあでも、なんとかぼくはブドウの木の剪定の仕事にありついた。彼は彼で剪定された枝をワイヤーにくくりつける仕事にありついた。

というわけで農場こそ異なるが、ぼくらはブレンナムで再会した。ダンボール二箱を買い込んで、全部キルするぜとか言いながら飲んだ。ぼくは四本しか飲まなかったが、ヒーコとオランダ人はそのあいだに一箱開けていた。

その日の夜、ヒーコのゲストハウスへ遊びに行った。ブロンドの男が夜中だというにシリアルを食べていた。ヒーコはドイツ語でその男に挨拶をしたあと、ぼくらに謝った。ぼくがオランダ人にドイツ語話せる?と笑いながら聞いていたのを、ヒーコは聞いていたに違いない。

このオランダ人は相変わらず何を話しているのかわからなかった。寝癖がすごいし、クマもすごい。「おまえはもっと頑張らないとすぐにクビになるよ!」とヒーコが諭すと、オランダ人は深刻な顔になって、たぶん、『I know』と言った。ヒーコ曰く、彼はサボり癖がすごいらしく、みんながセコセコ働いてるあいだに、寝たりしているらしい。ぼくが「おまえのスタイル最高やん!」と言うと親指を立てていた。

「きみはカートコバーンに似てるね!ニルヴァーナの。もしかして、フランス人?」とシリアルを食っているドイツ人に話かけると、ヒーコとオランダ人は爆笑した。しかし、張本人である彼は顔を赤く染めて「take a guess」と言った。ついぼくは吹き出してしまった。その仕草がまるでコマーシャルのように見えたのだ。

「冗談だよ!冗談!っていうか、英語の発音めちゃくちゃうまいね。まるでネイティブレベル!」とつい言ってしまうと、そいつが滔々と外国語を覚えるためにはどうあるべきかみたいなことを述べ始めたので、オランダ人は眠たいから部屋に帰ると言った。

「おまえはドイツ人と話すためにニュージーランドまで来たのか」とそいつが皮肉を交えて言いだしたので、「パーフェクトイングリッシュなんかどうでもいい。おれは羊たちのボスになるためにここへ来た」と返すと、ヒーコがまた笑って「そういえば、ドイツへ帰ったら何をするんだ?」と英語で聞いた。

もうすぐ彼はドイツへ帰るらしかった。心理学を勉強すると彼は言った。「ソウシ、フロイトって知ってる?あいつ頭おかしいよな?」「いや、おれは好きやけど。っていうか、彼の本よく読んでたな」

『サーカスティック』という形容詞はぼくがニュージーランドへ行って初めて与えられた形容詞だった。その後も『shy』『afganistan』『stupid』『philosopher』youの後ろにいっぱいついた。

このとき、ぼくは『philosopher』という称号を手に入れた。心なしか、シリアルも尊敬の眼差しをぼくに注ぐようになっていた。シリアルは心理学を応用して大衆の心を煽るようなマーケティングを学びたいらしい。このとき、ヒーコがキレた。「ごめん、今からドイツ語で話す」ヒーコは焚き火のように話し始めた。

しばらくすると、シリアルが凹みだした。ヒーコは彼になんと言ったのだろう。想像だけど、ナチスの話をしたに違いない。二度目に飲んだときも、キム(後に紹介する)とフィリピン人(自称金持ち)が大げんかした際にナチスの話をしていた。

ヒーコは顔がおっさんであるわりに未だ二十歳で、理系らしく、機械のこと以外はわからないらしいが、妙に説得力があった。諭すというよりも、優しさのあまりに言葉を紡ぐような人間だった。シリアルはぼくより年上だったと思うが、ヒーコの話をよく聞いて考え直すよと英語で呟いた。

朝方、ぼくはゲストハウスへ戻った。このゲストハウスで、ぼくはシャイボーイと呼ばれてたに違いない。誰とも話さず本を読み、呑みの誘いも断っていたからだ。唯一仲良くしてくれたイタリア人のマルコはヤクザみたいなジャージを羽織って、レッチリを爆音で聴きながら剪定の仕事をしていた。『by the wayじゃん!レッチリ好きなん?』と訊くと『だれやそれ』と返したきたのは未だに覚えている。

ぼくは総じてシャイだった。あんまり人と話したくなかった。西洋に憧れたマレーシア人の哀れな奴はいつもぼくを見下すような目で見ていた。こいつがいたから、ぼくはシャイになった。あとはワークキャップを被ったドイツ人がストレスだった。何はともあれ、農場のボス、マイクはイケズな奴だった。

研修期間後、ぼくはクビになった。ヒーコにメールすると「おれはなんとか大丈夫そう!この前のオランダ人覚えてる?あいつはやっぱりクビになったよhaha」その二日後、ヒーコから「クビになった」との連絡が来た。そのとき、ぼくはケニヤ人のキムと外で暮らしていた。