あいうえお作文

あ あんただけには

い 言っておきたいことがある

う うちらってな

え えらい

お おそくに生まれたもんやなあ

生まれたのは正午が回ってから。そのせいか、寝起きがとても悪く、朝に起きだししまうと別世界に飛び出したかのような心地になる。新鮮で不機嫌な朝が過ぎると、いつものような気怠い時間がやってきた。こんなにお熱な太陽がぼくの肌をタンドしているのに、このぼくときては日々の鬱蒼とした想いで押しつぶされそうになる。

今日は始まりから憂鬱だ。これからどうして生きていこう、と考えながら自転車を漕ぎ、始まりからあまりにも疲れすぎていたから、サブウェイに乗り換えた。憂鬱である。やっぱりどうあがいても憂鬱である。家に篭ってじっとしながら、寝たりしてサンが地上にセットしていく様を、オレンジに染まる自分の部屋で過ごしたくはなかった。そうすると余計に歌が深まる。シコリ倒して夜が始まるのを待ちたくない。外へ出る。眼に映る全てのものは刺激物だらけで、ぼくのアンチソーシャルな気持ちを一層掻き立てた。『こういった現存在』と関わっていかない限り、経済的に貧困していく。そして、今関わっている。

関わりを断ちたいわけではないし、働きたくないわけではない。もっと本気だしたいし、自分の狂気を解放したい。作るという言葉が重くのしかかる。怒りと怠さと眠たさと、ないまぜになった心は身体から湯気のようにホルモンを散らす。アトモスに乗り込み、虚ろな目で靴を眺めていると、店員さんの慄いた目をおれの目尻が捕らえていた。視線とは目の数だけあるのを忘れていたから、少し驚いた。

暫く歩く。恣意的な値段設定が散見する街で、値段とはいつも恣意的なのだけれども、なお仕事が嫌に輝いてくる。仕事、接客、この人たちは意味のわからないクレームへの恐れから婉曲表現を強いられた人間たちだ。これが日本の仕事なのだと思うと、侘び寂びだ。侘び寂びは今、別用に輝いている。言葉は反復する。意味はほとんどそのままに、背景だけが絵馬のように変わる。

街をまだあるく。腹にタコライスを入れると元気が出た。それでも、人はこうも煙たくて煙草に巻かれるよりも辛い。歩いた。ある古着屋へ行った。いつもは滅多に行かないところだ。店員さんの態度がやけに初々しく、友達のようなスマイルを浮かべてくるのでこの人は帰国子女なのだろうかと考える。年齢を聞かれる。

『16歳!16歳ですか!!』とこの店員さんの愛嬌は素晴らしくナチュラルでいいのである。話を聞くうちに彼女が16歳であることが判明し、色々と納得した。

素直であるということ、友人が言うに、革命は狂気ではなく、素直さが引き起こす。まさにその通りだろう。上の階に行くと、21歳の店員さんに『アパレル入った方がいいですよ!イイです!顔がイイです!』と言われ、謙遜するのもおかしいし、ありがとうございますと返事をした。ぼくもアパレルはいいなあと思うし、もうぼくにはそれしかできないなあと思うこともある。服の歴史は深いから、そこへダイブできる楽しみもある。時代をズラしたり、時代性の強いものから時代性を剥ぎ取ってコーディネートに還元するのも好きだ。

ファッションはズラすことができる。今日も実は、ズラした。ハンティングベストを、トーンの異なるショーツと合わせて似非セットアップを作り、チェーンショルダーと茶色のタンクトップ、厚手のホワイトのソックスでストリート色を出した。

色、生地、サイズ。を身体の上で配置させる。コラージュだ。絵を描くことではない。あくまでコラージュだ。ぼくの文章もほぼ配置だ。最低限の文法をベースに組み合わせる。言葉が加速し、想像が加速する。文法の上で意外なものと意外なものが混ざり合い、何かがすり抜ける。疾走する馬の筋肉を競馬場で眺めるのではなく、この街は疾走する馬の筋肉だとかしてみる。強さだけが響く。強い磁場みたいなものが次の言葉を可能にし、不可能にする。

女子高生にアパレルの接客される機会があまりないから、すっごいいい体験した気分になり、ライオンマジックのおっちゃんに伝えようとお店へ出向いた。

ここでぼくは1つの暴力を働いている。ぼくは店員さんを女子高生と呼んだ。ぼくの言動は、店員さんから個性を剥奪し、ただの社会的な身分である女子高生に置き換えている。名詞の悪夢、名前の悪夢。どちらも悪夢。

おっちゃんはいつも飲み物をくれる。夏はジュース、冬はコーヒー(たまに昆布茶)。今日はザクザクに氷が入っていた。一杯目を飲み干す。二杯目を注いでくれる。ぼくは大体、二杯飲んでいる。古着でわからないことがあれば、おっちゃんに何でも聞く。何でも教えてくれる。ぼくはこういうおっちゃんに出会ったことがないので、初めて会ったときはびっくりした。

プライスには値段が書いていない。たまにエッセイが書いてある。店内には爆音でレゲエがかかっている。今日はJ-popがかけられていた。ぼくも大沢誉志幸を聴いていたので調子が合った。モノを買う。カッコいいから買うのだけれど、それと同じくらい誰から買うのかは大切なことだと考えている。

ぼくはヤフオクもメルカリも使う。そのとき、ぼくはモノだけを買っている。古着屋で買い物をする時とはちょっと違う。ぼくは強くこの人から買いたいと望む。

何か今日は幸せに満ちていた。色んな関係がある。色んな人への触れ方がある。売り買いも関係である。そこにも色んな売り方、色んな買い方がある。19時も回った。服には思い出が染み付いている。服に金を払うとは、その縁を切り、新たな関係を結ぶことだ。ぼくは今日、四着の服と新たな関係を結んだ