皆殺し

日記だ。個人の手記だ。不快にならない方がおかしい。公にされているからといって、何人でも入って良いわけではない。覚悟しろ。これは個人の記録だ。何度も言う、当たり障りのないものではない。扉が開かれているだけに過ぎない。私を知っているものは立ち去れ。その方が良い。知り合いは他人よりも遠いのだから。

2019年1月10日休日。人間に会った。死にたくはないが、ぼくはこういった類の人間と会うと死にたくなる。世界がすごく狭く感じられるのだ。『お金をもらっているのだから、誠心誠意働けよ』これが常識だと思っている日本人多すぎないか?労働と金の関係は実に不可思議な関係だが、それよりもまずなぜ誠心誠意働かないといけないのか。サボってるわけではあるまいし、立派に仕事はしているはずだ、時間を使って。なぜ精神まで捧げなくてならない。時間を捧げている、それ以上のことを求めるのなら宗教と言わざるを得ない。宗教が良いか悪いかは別にして、無自覚的に宗教を行なっている人間ほどタチの悪い人間はいない。そういう人間に宗教ですね!というと怒るのである。かつてはホンダもパナソニックも偉大な宗教だった。かつては。今の宗教はショボすぎる、器も狭すぎる。まさに時代を反映している。このご時世はっきり言って宗教じゃ無理だ。全員をやる気にするとか考えずにやる気のある奴だけ採用すればいい。取れないのなら、その会社には魅力がないということである。働いてる者が悪いのではない。会社がその程度のモチベーションしか与えられないから、やる気のある人間が来ないだけの話。奴隷根性丸出しの会社にだれが行くものか。そういった会社に限って精神論で労働者のモチベーションを管理しようとする。彼らが使う言葉がまさに『金もらってるんやから、、』である。阿呆らしい。宗教も腐ったもんだ。そんな言葉で励まされる労働者がどこにいる。賃金が上がったってやったあああと喜んで働きますなんて奴はいない。ぼくは死にたくなっている、何年も前からだが。こういう人間が多すぎるので、ぼくみたいな人間は死ぬ以外に方法がないのではないかと思うのだ。自営するほど頑張りたくもない、ただ普通に暮らしたいだけなのである。成功したいとか、金が欲しいとかそんなことは艶も望んでいない。普通に暮らして、仕事に時間を捧げるかわりに金をもらって好きな人と休日に遊びたいだけなのだ。この暮らしを実現するために頑張らないといけない社会って一体なんだ。人様の役に立つとはこの国が好きな言葉の一つだろう。役に立たないと金は稼げないらしい。そんなのありか。強欲な奴は金を儲け続ければいいし、邪魔はしない。普通に暮らしたいだけなのだ、それだけなのになぜそれができないのか。ここは先進国と呼ばれる国のくせに妙な精神論が労働神話に根付いている。今まで温めていた詩作を全て解放するつもりでいる。もう黙っているのは懲り懲りだ。自分の詩に自信があるとかないとかどうでもよい。このまま死ねるか、自称弱者のクソどもばかりで溢れた詩で集める共感など糞食らえだ。皆殺しにしてやる