火鍋

火鍋を貪っていると幸せな気持ちになる。ご飯がわりにビールをやる。ラム肉のケモノ臭さが口いっぱいに広まって幸福感が高まる。アドレナリンが湧く。ひたすらビールを煽り、ラム肉を頬張る。火鍋は一人一台、自分のために自分で入れた具を、自分で食べる。気遣いとは無縁である。自分の幸福感のためだけに鍋をつつく。酒池肉林とはまさにこれ。みんなでつつく鍋はしょうもない。一人鍋ってのは味気ない。そこで、火鍋である。鍋は人数分だけ、みんな自分のためにひたすら具を入れて食らう。欲望を充足させながら話すから、みんな幸せである。

奴隷みたいな店員もいない、具材は自分で取りに行く。惣菜も取り放題。そして、はてとなる。アジアの接客業のなかでも喜んで奴隷になりたがる日本というシステムの特異性と異常さ。あんな、接客をされて喜んだり、承認欲求を満たそうとするしょうもない客という生物。この歪なカタチはいつから生まれたのだろうか。店が個人で営まれていた時代は絶対にこんなカタチじゃなかっただろう。いつからだろう。

火鍋を食らうと生きてる心地がする。火鍋は飼い慣らされた食い物ではない。タレも自分で作る。エネルギーの塊みたいなものをバクバク口に入れる。ほんまにうまい。美味しいのではなくてうまいのだ。よくわからないけど、モンゴルのえぐみを感じる。