還る

おまえは土になれ、蝉がアスファルトで転がることほど虚しいことはない。アスファルトは年中清められているのだから。そこには土壌がない。清掃あるのみ、そこで腐ることはない、乾くだけ。腐っても、乾くだけ。何者にもなれない。死骸は食われるべきだ。お前の身体は蟻に運ばれてその子孫を富まし、おまえは蟻になり、その子孫になり、微生物になり、土になれ。循環を閉したくない。だからなるだけ、きみが土で在り続けられるだけの場所を探した。すぐにアスファルトに覆われないようなところ、誰かの手の入らないような、たとえば公園、でも公園はこの辺りにない、だから隙間だらけの家の庭。なるべく荒んでいる家、そこの庭。見つけて通行人が通り過ぎるのを待った。片手を塀に差し出して「おまえは土になれ」と指を開いた。ポチャン。何か軽いものが池に落ちた音がした。母親が猫を轢いた話を思い出していた。母親は猫に呪われたと言っていたが、あのとき母親は自分で自分を呪っていたんじゃないか。小学生になりたての頃に聞いた話をなぜ思い出したのだろうと考えた。蝉の幼虫を触ったからだと思った。死んだ生き物をひたすら土に埋めまくる傍ら、涙を流し、返す刀でプラ容器に入れた蝉を火で炙った。火の中で千切れるような鳴き声を聴いた、その周りでもっと多くの蝉が夏を盛る。タンクトップに坊主姿、よく焼けた肌の子たち。樫の葉越しに空を見上げる。とても青い、キレイな空。すっと立って遠くを見るとほんのりと山の輪郭が見えた。「あの山はなんていう名前?近いん?」「あれ多分、生駒やな」「生駒山上遊園地って生駒?」「知らん、生駒霊園は?」「知らん、明日チャリで行こや」「最高どこまで遠く行ったことある?チャリで」「おれ四天王寺」「え?とおおおー!四天王寺?100キロくらい?」「多分」

四天王寺は実家から5キロもない。それを知ることになるのはもっと経ってから。でも、その頃にはそんな会話だれも覚えてへん。