パンジーピープル

愛玩用、観賞用、煮ても食えず何も救えない、植えない方がもはやマシである園芸植物の代表格にパンジーがいる。観賞用というよりも、アレを植える心境に一種の強迫観念が見え隠れする。例えば、老舗の旅館だったり古くからあるレストラン、ホテル、何でもいい昭和の香り漂う建築物をリノベーションした際に、圧倒的に感じる違和感がある。清潔感を演出しようとするあまり、空虚なスペースが生まれる。まるでこの場所が普遍であるかのように、(人間が)手を入れました!と言わんばかりの外観。差し障りがないだけの空間、でも社会に許容されているから別にいいでしょうとでも言いたげな空間。圧倒的な倒錯と言っていい。パンジーの花壇はまさしくそれである。差し障りがなく、雑草を茂らせるよりもパンジーを植えることで手が入れられていることを証明しているだけ。観賞用ではあるけど、鑑賞するには平凡でありきたりすぎて見るところがない。ファッションも然り、街も然り、パンジー的である。パンジーみたいな奴らがパンジーみたいな空間、モノを再生産し続ける悪夢。パンジーかパンジーでないかは悪夢から醒めているか、醒めていないかの違いだ。これを気持ち悪くないと言い切れる奴はパンジー以外の何者でもない。そうゆう奴らをパンジーピープルと名付ける。