DAY1 IN TOKYO

新陳代謝が著しいこの街で不健全な妄想をするのはいかがなものか。私は6時間の乗車時間、新幹線の遅延の果てに品川駅へ降り立ち、新宿か、渋谷へ行くとそこから突然歩き始め、青山へ向かった。青山というところはまとめサイトみたいな場所だ。店は閉店、ショーケースはギラギラ。今年のトレンドが一つか、二つの区画に凝縮されている。贅沢な余白にトルソーが何本か。予定もクソもないけど、なんとなく頭に入れていた二日分の用事が一日へ凝縮されていく。ホテルのチェックインは0時、今は8時、コロナのせいで急速に早まった夜のせいで飯屋も空いてない。空いてるとすれば、バカみたい集団がカウパーにポテトをつけて食うてるような居酒屋くらいなもんだ。一人で入れるわけがないねん。通りすがりに見かけた表参道の並木の一本一本が大きくてよくよく目を凝らせば、これはケヤキさではないか?と思ったのである。近寄って見てプレートを確認すると『ケヤキ』と書いてあった。

ケヤキは今まで見てきたことはあったかと思う。私はケヤキを見てケヤキとも分からないレベルの環世界にしか住んでいなかったのでなぜ並木がケヤキだと分かったのかは謎ではある。木を見て名が浮かぶのは初めてのことなので不思議な感慨に耽りながら、表参道のケヤキ並木、その左側を右手で触りながら歩いていった。

目線を人間たちに移し替える。特に見るべき所も見たいと思える箇所もない。かと言って悪い気はしなかったから木を見るように人をみた。嫌味も憧憬もない、ただ見るだけ、目を道具として純然に使えるのはとても心地よい。エイフェックスを聴いていたことも相まって私は風であるとでも言いたげな歩き方をしていたと思う。今は8時を回って9時、ホテルのチェックインは0時。このゆとり、何もすべきことがない余白が心地よい。電車も止まることがなければ、タクシーは流れていく。心患いがない。水のような私は残りの2時間疲れるまで歩き回り、そこからの記憶は一切持ち合わせていないが、また青山へ戻り、青山一丁目の電車で門前仲町へ、これがまた電車一本でなんの煩いもなかった。そのことだけが強く心に残った。そのままぐっすり寝ればよかったが、股間が疼いてきてテレビを見たり、AVを見たりしながらエックスビデオに垂れ流れたショートバージョンのフルバージョンを見つけようとググって躍起になり、気づけば3時。