公園

今里新地のそばにある、新地公園は小学生の話題に事欠かなかった。日本の未来を憂い、小太りの中年が腹を切ったことがあった。包丁をちょんと腹に刺し、「やっぱり痛あああいいい」と喚いた。数分後には救急車が来た。同級生はキャッキャと言いながら、その喜劇を見ていた。血が出ていたらしい。おっさんは泣いてたそうだ。汚い肌着を着ていた。

ある日、友達の弟が何者かに杖で背中を殴られた。ぼくは小学生の大群を率いて、新地公園へ殴り込みをかけた。杖を振り上げた高齢者が一人でに荒ぶっていた。ぼくらは自転車をさっと降りて走った。

高齢者は白い顎髭を中国の仙人のように伸ばして髪の毛を後ろで束ねていた。友達の弟にこいつか?と聴くと頷いた。ぼくは威勢良く啖呵を切った。高齢者は怯む様子もなく煌々とこう宣言した。

「剣道十段、空手十段、柔道十段、いつでも何処からでもかかって来なさい!」

再び、杖を振り上げだ。振り下ろすのかと思えば、鈍角に突いてきた。腹のあたりだったと思う。避けるまでもなかった。そのまま杖を蹴飛ばして殴るふりをすると

「卑怯者!剣道十段、空手十段、柔道十段、いつでも何処からでもかかって来なさい!」

それが因縁の始まり、毎日夕方の三時になると公園に現れるようになり、バトルを繰り広げた。楽しかった。楽しいはずなのに、杖突きジジイが来る時間になると、心臓がばくばくとして身体がそわついた。

カナダ人のレイモンド、タイワニッシュのリュウさん。まともだったのはこの二人だけ。二人とも公園の隅でリフティングをしていたから、サッカーしよやと誘うといつのまにかメンバーになっていた。

それぞれの公園にはそれぞれの主がいた。山公園にはホームレスの赤城さん、ぼくが小学生の高学年になる頃から、公園に住み着いた。昔からゴールがわりにしていたベンチ周りにテントを張って住み始めたので、当初困惑していたし、あわや殴り合いになりそうな程、険悪なムードが漂っていたが、いつのまにか馴染んだ。

中学生のとき、赤城さんのテントが燃やされた。というよりも爆破された。同級生がガスボンベをカセットコンロに投げつけて爆破させたのである。ゲームみたいな炎があがったらしい。後日、赤城さんのテントがあったところ一体が黒く焦げていた。悪さの次元が変わっていった。

小学生の時分は周りとの調和を大切にしながら、バトルもしていたし、時には怪しい人と親友のような時間を過ごすこともあった。それが中学生になると、協会の扉を壊して回ったり、街中で水風船を投げつけ、自転車で車を挑発したりするようになったら、大人に本気でしばかれるようになった。縁を広げながら生きていた小学生時代と縁を断ちながら近親相姦的な校内のヒエラルキーに従いながら、自転車を平野川に投げ込んだりしていた中学生時代。悪ガキではなかった。犯罪者予備軍、非行少年軍団。不良ではなかったからたちが悪かった。

あの時間はなんだったのだろう。今でもたまに変なスイッチが入ることがある。地元の友達に訊くとみんなもたまにそうなるらしい。何がおかしいのか笑いがこみ上げてきて、楽しくなってくる。別に悪いことをしてテンションが上がるわけじゃない。理由もなく楽しくなってきて、饒舌になり、突然何か仕掛けようとしてしまう。