書くことがない

自分の言葉に力がなくなってきたなと思う。書けることと言えば、社会への恨みと思い出話だけだ。ジョーブログに「おまえは楽しいことしてないから、昔のことをよく憶えてんねん。おれはそんなん全然憶えてないぞ」と言われたことがある。一理ある。昔の記憶を何度も思い出しているわけではないが、記憶の上積がないので脳のストックに余裕があるのだろう。脳の中で思い出が発酵している。そこから匂いが漂う。哀愁と呼ぶ。生とは対極にある香りだろう。終わりの香りとも言える。

あまりにも多くの人間が醸す匂いを私も発しつつある。書くことは生きること、生き直すことだ。今の私にはそれができない。案の定、詩は書けなくなった。昔のものを眺めてもピンとこないが、書けなくなると何だか辛いものである。思い出乞食とでも名付けようか。

数年前に、刑務所を出た知人と道端であった。知人は驚くべきほど昔のことを憶えていた。学校の先生の言葉を一言一句、どこをどうやって何で殴られたのか、その時の天気やら。刑務所で昔のことを考えていたのだろうなと思った。考えれば考えるほど、彼の中で鮮明になっていったのだろう。真実はどうであれ。

コンビニで特茶を買っていた。しばらくしてからそれが特茶だと気がついた。嗚呼となって、時計を見ると残り40分で休憩が終わることを知った。そら言葉なんか編まないし、ましてや本なんか読めないよなと思った次第だ