サービス精神旺盛

サービス精神旺盛のあまり疲れること山の如しだ。ほんとうにサービス精神旺盛だ。関係を持つのが苦手である。初対面は気にならないが、二回目、三回目と会うのが苦痛になる。わたしは常連が嫌いである。おれの顔を覚える必要は皆無だ。だから店にしろ何にしろ顔を覚えられた段階で行くのを止める。今に始まったことじゃないと、よくよく考えてみると、わたしの行く古着屋はほとんど馴染みの店ばかりだ。

たとえば、レインなんか話に行ってるようなものである。波長が合うのでいつも適当なことを行って一時間くらい話し込む。大した話はしない。三ヶ月に一度くらいキキちゃんと一緒に行って漫才みたいなことをする。キキちゃんといる時のわたしは多分一番イカれてる。ナチュラルボーンイカレ野郎に見えるだろう。実際、ナチュラルボーンでイカレているので仕事も大変だ。それにも増して天然ときた。これはもう絶世級のナチュラルボーンイカレ野郎である。

ナチュラルボーンイカレ野郎なのにサービス精神が旺盛なので適当に相手が喜びそうなことを並べていると好意を持たれる。好意を持たれるとめんどくさくて仕方がない。わたしは犬以外と戯れる気はない。わたしは気体のような存在なので、ある程度相手に合わす。そうっすね、は同意でもなんでもない。音楽に合わせてハミングしてるに過ぎない。そんなことをしてるうちに心に穴を空けてしまった。

わたしにとってのサービス精神とは奴隷根性だ。相手が喜ぶから話すのではなく、相手が喜ぶリズムに合わせて踊るからだ。楽器を持ってる相手に楽器を重ねようとは思わない。わたしたちは対等ではない。ただ雨降れば傘を指すようにわたしにとっては必然なのだ。そんなことを言いながら、わたしは突然豹変する。二回目と三回目にそれがくる。二回目も三回目も同じことをすると心に穴があく。

本気で話して欲しいと言われることがある。本音で話したいとか。不思議なことを言う。わたしは読んだ本を何一つ自由に思い出すことができない。わたしは、その場やその人によって引き出され、炸裂していく奔放な制作しか出来ない。地盤がぐらっと揺らいで、磁場が捻れるような感覚。不思議なことに他の関係のない人間がわたしたちと同じような話をはじめる。わたしたちは熱源になり、それが飛び火していく。わたしたちは互いに別の会話をしていたのに、気づけば同じような会話を始めている。あの瞬間だけ、本気という言葉が正しければ、本気が発動/誘発されているのだなと感じることができる。それ以外は大文字の踊り手に過ぎない。

本気は空間だ。わたしはそこにいるだけなのである。わたしは場の生成物でしかない。それが生の踊り手かどうか、おれのダンスを踊っているのか、お前にダンスを踊ってやっているのか。詩はわたしのダンスだ。それが書けなくなって久しい