できない

展覧会の日程が決まった。殆どのことが一人でできない。前々から気づいてはいたが、まじで何も出来ない。現実に対して出来るアプローチが少ない。いや、ほぼ皆無に等しい。本当に無能である。物理的にできない。そして、何より頼むということが、とても難しいことだった。頼むくらいなら、物理的に何もしない。想像の中で片付ける。

そんな自分が展覧会をすることになった。車の運転もできないから搬入も一人でできない、日程も都合つかない、パソコンも触れない、案はあるけど実現の仕方がわからないし、一人で思考を整理することができない、できないことしかない自分を見てると、とてもおかしくて清々しい気持ちになった。

無能である。本当に何もできないのだから。できないけど、やりたいから頼るしかない。私は頼ることが何よりも嫌いだ。人に気を使う性質が年々、色濃くなってきてるのもあって人に自分ごとを頼むのは気が引ける。でも、頼むしかない。頼める人を考える。何人かの顔がでてきた。何人かの顔しか出てこなかった。それがとてもおもしろいなと思った。その人たちに頼んでみようと思った。

自分はたかが知れてると自覚すると、身体が弛んだ。久しぶりに友人に連絡を取る。いいよと言ってくれた。とても嬉しかった。できないことは頼む。とても大事だなと思ったのと同時に知らない間にすくすくプライドが育ってたのかと思うと、とても切ないなとおもった。

言いたくない言葉とか、査定のクロージングで投げれる言葉、罵倒されたり、呆れられたり、どれだけ頑張って値段つけて説明しても馬鹿にされる。これじゃあまずいとなって、本当の俺という架空の存在=プライドを作り上げて、精神の恒常性を保とうと必死になっていたのだろうと思うと、とても悲しくなった。

仕事だからそうなるのは仕方ないと思っていた。仕事は身体を硬直させるものだから、仕事以外で分裂しようと躍起になっていた。だから服を異常に買い込み、毎日新しいスタイリングをして、飯は腹が減らないように常に満腹であり続けようと腹を満たすだけの食事を続けていた。でも、今日は仕事中であるにも関わらず、昼過ぎくらいから力が抜けた。それも私の休憩中にスタッフの人たちが頑張って査定を回していた。とても忙しかったと思う。最近は、私の機嫌が悪いから気を遣って呼び出さなかったのだろう。

仕事でも力が抜ける。力まなくていいと思うと、クロージングも楽になってゆっくり喋れるようになったし、客が人になった気がして少し楽しいなと思えた。そうゆう一日