3人の夫


フルーツチャンの3人の夫を見た。ヒロインのムイは香港の無垢な象徴を表しているのだろう。ヒロインの3人の夫は低所得者と水上生活者。ムイは異常な性欲(病気)の持ち主で欲望を達さなけれなば発作を起こす。彼らだけではムイの過剰な性欲を諌めることはできず、携帯のバイブ、ロデオマシーン、最終的に魚 鰻など思いつく限りのモノを用いてムイを慰めようとする。その一方、ムイの尽きない性欲を利用して娼婦として扱うことで生計を立てている。

彼らはムイの病を治すべく香港の民間伝承、人魚伝説に希望を見出す。その内容は異常な性欲を持て余した人魚が船乗りの男根を挿入されたことによって性欲が収まったというものだった。3人の内の1人はムイこそがこの人魚伝説の子孫なのではないかと推測し、その伝説の残る島へ向かう。

少し考えれば分かる、そんな島へ行ったところで、そんな伝説に頼ったところでどうにもならないが、彼らにはそれ以外思いつかない。そもそもムイが人魚であるはずもない。それにもし仮にムイの病が治ったとて、食い扶持はどうするつもりなのか。圧倒的に彼らには未来が見えていない、現状も理解できていない。そういった思考がない。

ムイが性欲のあまり発狂し、逃走するシーンが何箇所かある。水上生活者の話なので舞台は殆どが海の上、ムイは狂って海へ飛び込もうとする。夫たちは縄で縛り付けたり、漁網でムイを捕らえる。このシーンには胸が痛んだ。彼らはそれ以外の方法が分からず悪気は全くない。ムイはただ叫ぶだけ。喘ぎ声と叫び声と。ムイは知的障害があって満足に会話、話すことができない。だから子どものように泣くことでしか相手に何かを伝えることができない。売春中に時折、歪む顔、叫ぶように喘ぐ声、快感で喘ぐ声、泣き叫ぶ声、そのどれもが香港の今を切り取っているのだと思った。

物語のラストシーン、伝説なんて鼻から信用してなかったと言うように夫3人が船の上で、いつものような会話をやりあっていた。『これからどこへ行こう』舳先に立つムイの顔がズームされる。痣か泥か分からぬものが頬を黒く染め、疲れた顔をしていた。痣は泥なんだろうか。

見終わったあと、病は本当に性欲でなければならなかったのかと色々考えた。もっと別の手段は取れなかったのかと勝手ながら考えた。男が女をモノとして扱っているような描写が多くて誤った伝達のされ方をする可能性もあるなと思えたから。でも、性欲しかなかったんだなとわかった。性欲はどうしようもないものだ。湧いてきては手に余る。生活的で感情ですらないどうしようもない欲望。日々高速で変化していくモラルのなかで性欲はどんどんと隅に追いやられる。でも、実際のところ性欲の原理は何一つ変わらない、感情ではない、一つのどうしようもない欲望である。自分はあまりに現代の風に流されてしまっていたことに作品を観たあとに気づいた。