春とでかい子どもたち

春やな、そう感じたのは店内から差し込む日光が暖かったからだった。出社するまでは寒かった。夜もまた寒くなるだろう。一番良い時間帯をこのような箱の中に軟禁されて過ごさないといけない。出勤は9時、退勤は20時半、ペットボトルの底に薄ら残ったスポーツドリンクのような活力で11時間半も、この空間で労働しなければならない。そして、今、私は絶賛連勤中で4連勤目であり、今日は丁度7連勤の折り返し地点にあたる。11時間半×7セット、7時半頃に家を出て、帰宅は22時前。考えただけで辛いのに先を考えてしまうのだ。

仕事の内容はそんなにおもしろいものではない。基本的に見下される仕事なのでストレスはすごく溜まりやすい。一日一人で15件から多くて25件くらい査定をする。百均のモノとか、脱ぎたての靴下たちから辛うじて値段のつきそうな品を拾い上げ、業者の在庫処分品を嫌々買取り、ファストの山を掻き分け、変な匂いがする掃除機を見積り、貧困層、業者、パンピー、香ばしい奴から、どうせ売れずに廃棄するだろうもんを嫌々買い取る。アホみたいに配ってる買取金額UPクーポンで原価はUP、ストレス倍増、処分品のオンパレードである。

私は少し海外にいたので日本特有のお客様意識、消費者への過保護すぎる対応が生理的に無理だ。グローバルな人材が日本から育たない理由はなんとなく分かる。周りが過保護すぎて基本的な交渉力が備わっていない。教育を改革するより企業は過保護、奉りをやめる方がグローバルな人材は育ちやすいだろう。土壌が枯れている。大人、いや、でかい子供たちか、どの時代からこういうノリになったのかは分からないけど、でかい子どもたちが多くてしんどい。

やばい客が立て続けに来店して、再度春を感じた。春が近づくと、むくむくと起き上がってくる獣たち、虫たちと同じようにやばい人たちも春に起き上がってくる。日差しで春を受け取り、客層で春を感じる。また明日着る服を考えないと。どうせ出勤すれば制服に着替える。それでも、このどうしようもない一日、貪られ続ける一日、こんなクソみたいに低俗なもんだけに染まってしまうような一日を過ごしたくないから服を着る。そして、多くの服を、まだ可能性のあるもんを燃やしてしまわぬように。循環の輪へ再度戻すために私はモノを漁る。