職場

街にあるものはすべて購入できた。

作業服の男がガラガラと移動式のクロークを持ってきた。二枚のうち一枚を選んでくださいとぶすくさ言い放つと、クロークから服を二枚、投げて渡した。わたしはそのうちの一枚を選び分けて部屋に置いた。男はわたしに考える隙を与えたくないのか、それとも仕事の慣れからか、どれを選ぶか決まっていないうちから服を乱暴に投げつけた。そのせいで、まだこの仕事に慣れていないわたしはしどろもどろになってしまい、見もしないうちから服を選ぶ羽目となった。男は二枚で一対の衣類を五セット渡し終えると、この新人は選ぶのが遅いと隣にいるらしいパートナーに愚痴を零した。それを聞いて腹の立ったわたしは、下品な英語で相手を罵った。

男の隣から女の快活な笑い声が聞こえてきた。男はわたしと隣をきょろきょろと見回した。男にはきっとわたしが何を言ったのか理解できないでいたのだろう。だから女はわたしの言ったことを男に翻訳してやっていた。そのとき、二人は明らかに英語を用いて話していたはずなのだが、わたしにはさっぱりなにを言っているのかわからなかった。英語であることはわかるのに理解が全くできない。それは発音や速度の違いなんてものではなく、根本的に理解不可能な英語だった。

男は空になったクロークを扉からひきあげると、かわりに、ひとつはボンゴレ風の、もう一つはトマトソースの、パスタをふた皿、わたしの部屋へ置き、乱暴に扉を閉めた。夕飯の配給らしかったが、わたしを含め部屋には三人いたので、もう一皿持ってくるよう言いつけようと扉を開いた。

外はもう暗くなっていた。ピンクやミドリのネオンが頭上を瞬き、人間とクロークの群れが一つの方向目掛けて流れていた。どの人間も灰色の作業着を着こんでいて、うつむきながら空のクロークか服で溢れているクロークをおのおの引きずっていた。通路には部屋が牢屋のように連なっていて、食事の配給を済ませた部屋から扉がばたんばたんと閉められていった。その光景を見ているのはわたしと、通路の向こう側にいる夜の女たちだけで、灰色の男たちは淡々と業務をこなし、規則正しく奥へと進んでいた。わたしは声を張り上げて均質的な背中に呼びかけたが、声はことごとく飲み込まれ、ガラガラと鳴るクロークのけたたましい音にすぐに掻き消された。上の女たちにしろ作業員にしろ、だれもわたしに気づきもしなかった。

新人の男が子犬のような目でこちらを見やってきたので、わたしは電話すればいいじゃないかと、言ってやった。男はおぼつかない様子で、受話器を耳に当て、かけ方がわからないと電話をおそるおそるいじっていた。そのうち、プルプル鳴り始めたので、電話はどこかに繋がったようだった。

街路にいた。ある事情で急いでいるにも関わらず、古着屋へ行こうとしている。知っている雑居ビルに潜り込んで、古着を探すも、どこも閉まっている。夜が更けてるからだろう、だからバー以外は軒並み閉まっていた。

ある階の青いネオンの灯ったバーに心が惹かれた。すると、わたしの目だけが店内へ誘われ、ある映像をわたしに届け始めた。金髪で短髪の男が、口元から泡を零しながら、深紅の革張りのソファに深々と腰をおろし、手には煙草のケースを握りしめていた。なかには煙草が数本と、乾いたクサがケースから溢れていた。黒い漆の塗られたテーブルの上には、食いかけのホットドッグと、液体の入ったロックグラスが置かれていた。ロックグラスは壁にかけられた赤と青の電飾の光を浴びてプリズムのように輝き、液体をおどろおどろしいものへ見せかけていた。

しばらく液体の映像を眺めていると目がこちらに戻ってきた。わたしは雑居ビルを出て広場へ出た。広場全体がカーニバルのように賑わっていた。メリーゴーランドも子供たちが中に入って遊ぶ空気で膨らんだ遊具もあった。広場全体が一つの見世であり、住居地だった。毎日カーニバルだった。わたしは広場にいくつもあるうちの一つのキャッシャーに勤めていた。ここにはキャッシャー以外の仕事はなかった。すべてが売り物だった。だからなんでも花瓶の破片であれ、雑草であれ、ポップコーンであれ町にあるものはなんでも買えた。

キャッシャーはどこにでもあった。民家にも、出店にも、通行人にでも、どこでも誰にでも精算できたし、客が正気でさえいれば犬もキャッシャーになることができた。わたしが勤めるキャッシャーは町の中心部にあった。ミドリと白色のストライプ模様のとてつもなく大きなゲル風の建物でどこかサーカスめいていた。

休憩から帰ってきたわたしはワークスケジュールに書かれた還元されすぎてよくわからない記号を見て、適当に自分の役割らしきものを実演していたが、いつの間にか知らないキャッシャーにいるような気がしていた。もしかすると角を一つ間違えたのかもしれなかった。もはやもとのキャッシャーに辿りつくのも困難だと思ったので、とりあえず、その場所で働くことにした。

電話は見たこともないものだった。受話器がどれなのかさえわからなかったが、とりあえず、巻貝のような置物を耳に当てると、ツーとなったのでそれが電話であることは一様わかった。いろいろボタンを押してみたが、音が大きくなるだけで繋がっている様子はなかった。何べんか試し、どこかに繋がった。そのときにわたしの意識は二つに別れていたことを知った。電話は他空間へのアクセスとなっていた。電話が無言のあいだにわたしはキャッシャーのわたしの近況を眺めていた。わたしは新人バイヤーであり、同時にキャッシャーでもあった。それから、わたしはキャッシャーでないわたしとの交渉に成功しつつあった。

わたしは断じて王ではなかったのだ。わたしはわたしとわたしと共立していた。だから、相互に影響を被っているはずで、つまり、わたしもまた、影響を受けていただけなのかもしれない。要するにわたしたちの世界は相互に浸透し合い、別の世界だった。その繋ぎ目は暫定的な王としてのわたし、書き手としてのわたし。現実の方のわたしに暫定的に委ねられている。あくまで暫定的に。