選ぶということの、この上ない不条理の中でただ沈黙し服そのものを見つめること

2021年、明けました。モノをしっかり見れているか。しっかり見ているか。見ることに慣れてはいないか。本当にものを見ているんだろうか。オーラばっかり見てるんじゃないか。服そのものを見ているんだろうか。

見る。観る。診る。視る。

服を見ながら私は何を見ていたのだろう。スタイリングのこと、何に合わせようかという関心ごと。服はあくまで置換可能なものとして扱ってきた。ほんと選ぶというのは理不尽な行為で、まあ安いとか高いとか、これは珍しいとか、一本あったら便利とか、価格、希少性、利便性の軸があってそこから、暗算しながら選ぶ。どれだけマルジェラのアーカイブがかっこよかろうが、値段で諦めたり、値段で似たようなモノを買ったり、ああポケットないからやめようとか、ポケットついてるから買おうとかそんなほんと些細なことで選ぶ。

選ぶということの、この上ない不条理の中でただ沈黙し服そのものを見つめること。

今年は選ぶ行為をもっと慎重に、ご飯をゆっくり味わうように服を見ていきたい。絵を見るように、服をしっかり見る。間を味わいたい。バイアスを入れないことは不可能かもしれない、ある程度知識はあるし、何が流行っているか、逆に何がこれから流行りそうか、そんなことも考えれば分かる。でも、そうではなくて、ゆっくりと端を舐めて服をしっかり見たい。スマホのスクロールは早すぎる。しっかりモノを見たい。そうゆう一年にしたいと思う