責任

経済が掌をひっくり返したあと、残るのはモノだ。人間が死んだあと、残るのはモノだ。リサイクルショップに勤めているから分かる。流行の去ったあとに残る陳腐なレディース衣料は山とある。陳腐な生地、陳腐な縫製、陳腐な染色。本当に山ほどある。その場凌ぎで繕われたものたちは悲惨な末路を迎える。アパレル業界ってなんだ?未来のゴミを作るのが仕事なのか。それを買う奴はなんなんだ?流行り廃り?お前らが追いかけているのは流行りの末端でそつのない服装だろう。流行が去ったから誰かに着て欲しいってあり得ないだろう。デザインもさることながら生地もすべてが服としてのクオリティを全うしていない。そんなものをだれが着たがるのか。貧困な国に要らない服を寄付とは押し付けがましいよ。そんな都合のいい話あるかよ。服として成り立ってないものを、彼らが必要だと思うか。買ったものと向き合え。買ったことによって回転した経済の歯車と向き合え。加担した罪について考えろ。ゴミとなった自分の衣類と。それを選んだ自分と。もっと味わえ

その服ともう一度誰かが出会って、これを着たいと思えるのか。まず服として成り立ってないものを。百年後は資料なのかもしれない。そうであってほしい。でも、こんなに溢れかえって、回転し続ける経済の歯車が止まってこんな服もあったねと考えられる未来が来るのか。同じように回転し続けてるんじゃないか。

この世で廃棄になった服を集めて山を作って燃やしたい。その狼煙を日本中に駆け回らせたい。灰色の煙を袋に入れて博物館に納めたい。

肉の生産過程から、その終わりまでを我々は知らない。途中過程のええところだけを摘み食いしてあとは素知らぬ顔で他人に任せる。経済という歯車の名の下に。責任ってなんだ。