秋の装い

秋になったのか、この年になって身に染みてわかったことがある。秋の初めは一番アツい。少し涼しくなってきて、もう秋か〜となるのは中秋頃なのだろう。私は都合のいい秋しか見つめてこなかったのだ。秋の始まりは暑い、夏とのグラデーションを結んでるのだから当然のこと、立秋の太陽の暑さと虚しさ。心はこんなに涼しい秋なのに、外は湿気と合わさって茹でられるように暑い。虚しい。夏の亡霊に憑かれている。それが秋の始まりなのだが。分かってはいても受け入れ難い。

9/10早朝、太陽の目を盗んで、秋の装いを。寝ぼけてる太陽を横目にスタイリングの写真を撮る。仕事へ行く前だからこそ出来る行為だ。およそ長袖なんかを羽織るのは四ヶ月ぶりくらいになるのでは無いだろうか。とても懐かしい気持ちになる。レイヤード懐かしい響きである。シンプルない装いから彫刻へ。そうだ、昨日、眠る前には頭の中で出来上がっていて実装もしていた。明日はこう着てこう着るぞ。と意気込んでいた。スタイリングを決めると文章が溢れてくる。二つの文を親指でパコパコ打って、明日の朝にどちらも載せようと思いつくも、写真を撮った後には、書きたいことで満ちていて結局、朝一で文章を書いてインスタに投函した。

インスタで私をフォローしてくれてる人達は感性が鋭く寛大だが、興味のないことには関心を示さない。イケてるだけではいいねしてくれないのである。超イケていないと押さない。そして、逆にファッションに全く興味のない人も沢山いる。考えて見てほしい。ほぼ毎日、おれの顔を見ないといけない辛さを。同じ人間を毎日見続ける倦怠感、閉塞感、耐え難い。毎日どうゆう心境でみんなは私の写真を眺めているのだろう。めっちゃくちゃイケてる日もあれば、そうでない日もあり、イケテナイ日はないけど、ルーティンに負けてる私の姿も見ている。どうゆう心境なんだろう、と私は思うのだ。