マイ・セラピー

自虐もギャグもガチも飽きた。よくよく考えればファッションというもの、殆どの人間がやっていない格闘家、競技かどうかも定かでない、もはや概念があるのかどうかえ分からないものに熱をあげている様を素面になって考えると恥ずかしくなってくる。私はもともとまともではない。本来は本を読んで、書いて、読んで書いてというリズムで生きてきた人間だ。それでも生きることは存分に苦しかった。私はどうしても社会人になりたくて、おそらく4,5年前に就職を選んだ。就職するや否や、本を読むことも書くこともできなくなった。その状態では仕事が全く手につかなかったのだ。だか、エネルギーの総量は変わらないから何かしら、吐口が必要だった。そこで私が見出したものは、かつて熱狂し、かつて捨て去ったファッションだった。

生い立ちを言えば、私は数店舗チェーン展開してるような古着屋の息子として生まれた。物心ついた瞬間に既にヴィンテージ を着ていたから古着というものが元々生活の中心にあった。よく親の倉庫から服を盗んで着ていたし、友達にもあげていた。貰いもんやから気前がよかった。中学生・高校生の頃は本当に服が好きで小遣いはだいたい古着屋へ行って全て使い、教科書代も服に使った。古着以外の服はクソだと信じていたし、ニルヴァーナしか好んで聴いていなかったので商業主義というものに異様に敏感だったと思う。親には何を話しているのか、よくわからないと言われた。大学時代の頃になると、旅をするようになって風呂も入らなくなった。そのおかげでエゲツないほどの抗体、免疫力を育くまれた。落ちてるタバコは平気で吸った。逆に集めていた。落ちてて食えそうなやつはゲロ以外食ってみた。そういったスタイルになったので服は不要なもの、余分なものとして盆栽されていった。大学時代の友人のイメージに自分とファッションは結びつかないかもしれない。無精髭に作務衣、バックパックに結びつけた寝袋と、。よく、自分の過去のある瞬間を切り取って消したい過去と言う人がいるが、自分は全くそうは思わない。自分なりに自分の最適なコトをその時のやり方で見出してるだけで死なずに立派に生きたなと思うくらい否定の感情はあんまり湧いてこない。寝袋があればどこでも寝られる。その時の自分は雷に打たれるくらいの天命とか使命とか、をとにかく求め続けていた。求めても求めても結局、何も降りてこなかったけど。この頃くらいから希死念慮が強くなってきて死にたくて堪らなかった。まあなぜ死ななかったのか分からないし、なぜ死にたくて仕方がなかったのかも分からない。でも、なんとなく分かる。食うてクソして寝る、これの繰り返しがずっと続くのだと思うと死にたくて仕方がなかった。エコとか節約とかあーゆう言葉を聞くと、この人たちは本当は自殺したいけど、死にたいって欲望に気づけてない嘘つきなんやなと思っていた。

死にたがるけど、喋ればおもろいし、テンション上げたらおもろいから、色々重宝されて色んなところへ顔を出した。軽い奴ら、本当にどうしようもない相田みつをみたいな奴らばっかりで、自分もそうなれたら幸せかもなあと思って、頑張って馴染もうとしたけど無理だった。だから正直になってブチギレまくった。ブチギレまくってる最中、今までとは毛並みの違う人間と出会えた。それは本当に救いで、その中の1人から現代思想を教えてもらい、読みまくり、とにかく議論しまくった。自分の考えてたことはとうの昔に論破されていて、何もなかった世界が膨らんで色んなものが色んな角度から見えて楽しくて仕方なかった。そうゆう風に過ごしていると、死にたいことも忘れて一冊の本を読むのに3冊ノート使ったりして、図書館とカフェ、喫茶店梯子してひたすら本を読んでノートを書いた。そうすると、色んな景色が取り止めもなく浮かんでくるようになって、いっぱい物語を書くようになった。だから死ぬほど作りまくった。本当に楽しかった。号泣したり、爆笑したり、一人でずっと書いた。生きるために書いていた、誰にも読ませる必要はなかった。自分にとってそれが全てやから、それだけで何も要らなかった。でも、ふと熱が冷めると死にたくなる自分がいる。その自分へ向けてまた書く。これが自分のリズムだった。携帯はもうアイフォンからガラケーへ替えていた。

日本へ帰るつもりはないと、ニュージーランドへも行った。外で寝てヒッチハイクして、仕事して、クビになったり、ある時は人見知りで、ある時はしゃべりで、でも、全然楽しくなくて半年後に日本へ戻ってきた。初めからある程度は分かっていた。自分はどこへいても死にたくなるし、どこへいても満足しない。だから次は兼ねてより憧れていた社会人にでもなろうとおもった。誰でも受かるリサイクルショップに就職することにした。リサイクルショップは自分が社会と折り合いをつけるには最適な場所だと思った。新しいものなんて要らない、そんなものを営業するのも、売りつけるのも、作るのも嫌で。なら、社会の媒介者、ゴミを循環させる役割としてのリサイクルショップならまだ自分は働けるかもしれないと思った。まあ当然、蓋を開ければ、スーパーブラック企業で返事はハイかイエスしかないと意味の分からないことを言い出すので笑ってしまった。クソみたいに長い拘束時間、制服、住居、今までとは全く異なる環境でまあ読むことも書くこともできなくて、でも自分のエネルギーは有り余るから、身近にあった芸術であるファッションを選んだ。芸術と謳うとたいそうな響きになるが、限界芸術とでも言えば理解できると思う。言わば、反動形成として孕んだのがファッションだった。同じ場所に住むことがあれば、ファッションしてみたいなと前から思っていたというのも手伝ったのかもしれない。で、気づいたらこの数年、同じスタイリングをせずに病んだり元気になったりしながら、服を着てきた。あのインスタは本当にそれだけのアカウントだ。自分のためでしかない。だが、最近は繋がりみたいな薄い膜が自分にまとわりついてきて息苦しかったので、一度、フォローしていた方たちを400人から100人に減らしたり、試行錯誤しながらどうにか続けている。

前は伝えたいことがたくさんあったし、許せないことが死ぬほどあった、今は伝えたいことがない。一言に伏せば、あれは俺のセラピー以外のなにものでもない。そこが根本である。だから俺は普通に服を着てウェーイしてるような人たちとは全く別の観点から服を着ているし、オタクではない。オタク的ではあると思うけど。ある種、生きるために服を着ているような感覚もなくはない。車椅子みたいなもんといえば、その通りだと思う時もある。一筋縄ではいかない、色んなものが複合的に集まってモルを形成してるから。別に毎日楽しくない。出来ることなら目立ちたくはない。でも、そういった格好がしたい時もある。道を歩いてるだけで笑われると無性にイラつくので、そのままソイツを詰めたりすることもあるし、どうでもいい奴にイジられるのが嫌いなので普通にキレることもよくある。ドロヘドロみたいな世界線に生まれたいなと思うことはよくある。普通にマスクを被れる世界線に。まあでも、服はおもろいですよ。知れば知るほど沼で、知らんもんもいっぱいあるし、試したくなる。今んところ、常用するにはこれが一番いいシャブですね。文章書いてるときの快楽には負けるけど。